アイスキャンディ・マイラブ

札幌ドーム前に住んでるパンダの雑記

AFTER THE GR8EST(記録:東京9/7、9/9)

6人ツアーの開始からおおよそ2か月、ようやく東京2日目、4日目とGR8ESTに入り、やっぱりとても楽しかった。何度も泣いたけど1回目よりは2回目は泣かなかったし、いつまで泣くかわからないんだけれど、少しずつ減っていくのだと思う。

ただちらっと、そうやってすばるくんを忘れていくことを悲しいと思う部分もあって、すばるくんの不在に慣れていきたくない気持ちもある。このまま行くのをやめれば、慣れないで済むかなと。でもそんな気持ちよりずっと、関ジャニ∞のライブはサイコーに楽しいんだよね。

慣れていくのは我々だけでなくエイトも同じで、東京2日目、MCではすばるくんのことをほぼ触れなかったし、たまに大倉がつらそうな顔を見せてくれるくらいだった。その日は10公演め(ただし大阪の中止があったので本当は9公演め)で、それだけやれば6人のステージにも慣れるはずだ。

4人になってからのNEWSを見ていると、音源では6人や8人時代の曲なのに、ライブで聞いた4人の歌割でしか記憶していないものが多々ある。そうなっていくのがわかっている分、すばるくんが消えていくことが見えているので、やっぱりそれはつらい。すばるくんの声で歌われるから好きなパートというのがやっぱりある。NEWSは次々と4人バージョンの曲を発表しつつあって、音源でも上書きが行われている。9人時代から追いかけている友人は切ない顔をするけれど、4人になってからファンになった身としては、4人音源が手に入るのは嬉しいのだ。何年先かは知らないけれど、エイトも音源を上書きしていくこともあるだろうなと、思っている。関ジャニ∞として今を生きる彼らには必要なことだから、悲しいけど仕方ない。仕方ないけど、悲しい。

私の頭になかには2つのバージョンの『応答セヨ』が流れている。ひとつはすばるくんが「僕はスターライダー」と歌う『応答セヨ』、もう一つは亮ちゃんが歌うもの。すばるくんが生で歌う『応答セヨ』を聞くことがなかったので、もう上書きされかかっている。そういう意味では、すばるくんが歌わなかった『応答セヨ』ではじめて、すばるくんがいなくなってから発表した『ここに』で終わるGR8ESTは、とても完璧だ。

 

もうエイトはすばるくんのことは今更振り返らないのかなと思っていたのだが、東京4日目はその二日前とちょっと様子が違った。大倉が泣きそうになっていたのが早かったし、それにつられていたのか横も表情が固く、重たい空気をまとっていた。亮ちゃんは挨拶ですばるくんの不在に触れて、「これが現実なんで、僕らこれでもう何回もやってきたから」と強がるように言った。信五さんが酸欠で倒れたのも、最後のあいさつでおかしな笑い方をしていたのを引きずったのだろうけれど、それを見ていたわれわれは、彼が泣くんじゃないかと思った。こういうものだからとうそぶき、慣れていっているのは確かだろうけれども、とはいえまだ浮き沈みはエイトの中にあるのだろう。

同行者と私自身のスケジュールもあって、早い段階の公演には行けなかった。でも、札幌公演に入ったらそれこそ、もう立ち直れなくなっていたかなと思ってもいる。

エイトは話し合いを尽くして記者会見に臨み、わずかに泣いていたけれど取り乱さなかった。だからこそ心の隅では、彼らが話す「めちゃくちゃ止めた」というその姿こそ見たかったような気もするけれど、それを見せないでくれたことも、すごく感謝している。

 

GR8ESTに入る前、少しだけ「始まるんじゃない始めるんだぜ」という歌詞を受け止めきれずにいた。エイトが前に向かって進んでくれるのは嬉しいのだけれど、この曲を生で聞いてしまったら6人のエイトが始まってしまう、つまり、7人のエイトが終わってしまうのだなと思っていた。もちろんもうツアー初日の7月15日から始まって終わっていたのだけれど、「自分にとって」はまた違うので。

でも入って、6人の姿を見たら気持ちはがらりと変わった。「また逢えたら歌おう、リズム刻んで踊ろう/また逢う日を歌おう いまを刻んで行こう」という歌詞は、始まりの始まりなんだと信じられた。いつか一緒になにかしてほしいなんて思っていないけれど、それぞれが求めるものを手に入れてほしいし、それまでずっと関ジャニ∞を見ていたい。

 

もしかすると、一度も泣かないでエイトを見る日、というのはないかもなと思うこともある。KAT-TUNでは田中聖が好きで、だからって推しというほどでもなかったのだけれど、それでも10Ks!に入ったとき、過去のPVにいる田中を見てどばっと涙が出てしまったことがあった。エイトでもどうしても渋谷すばるを思い出してこらえられない曲が多分ある。慣れたくても慣れることができない、たぶんそういう曲は、一人一人の中にあるだろう。