アイスキャンディ・マイラブ

札幌ドーム前に住んでるパンダの雑記

2021年河合くんの誕生日と橋本くんメモ

今年もてんこ盛りだった「河合くんの誕生日と橋本くん」の記録です。去年だけすごかったのかな! と思っていたのですが今年もすごかったですね。しかも今年は言い始めるのが早かった。橋本くんの、河合くんの誕生日への気合がよくわかりますね。

 

昨年の誕生日についてはこちら。

icebreker99.hatenablog.com

 

昨年同様、コメント等はあえて「こういうことを言っていた」という概要にしてあります。

今年はまだメンバーからの誕プレの話が公開されていないので(おそらくドル誌用にとってある)わかり次第追記したいと思います。だって橋本くん、公衆の面前で2回も聞いているのになにをあげたのか教えてくれないんですよ…(ちなみに橋本くん、河合くんから誕プレもらったという話はしてくれますがなにをもらったのか自分は教えてくれないんですよね…)

(11/5追記:8/5売ドル誌での誕生日ケーキについて)

 

 

5月

ツアースケジュールが発表され、オーラスがふみ誕と判明。以降河合さん、ことあるごとにオーラスは自分の誕生日である旨を主張し続ける

 

7/20(火)

戸塚さん、橋本の誕生日プレゼントとして自分が描いた絵をラジオの生放送中にプレゼントする(6月の五関さんにはバックヤードで渡していた)

河合「俺ももらえるのかなあ」

 

8/4(水)

橋本、こうかんにっきで戸塚さんに「郁人にも誕生日に絵をあげるの」と誕プレネタばらしをせまる。戸塚さん、翌日に「準備しています」と返答

(※この時点で戸塚さんは紫と黄色に下塗りをしたカンバスの写真をブログに挙げているため、ふみ誕つか誕ともにプレゼントするだろうなというのはみんな察してはいる)

 

8/5(木)

POTATE誌面での橋本の誕生日祝い(取材は7月上旬)。なぜか橋本の次に河合が誕生日ケーキを持たされ撮影

 

8/19(木)

橋本、こうかんにっきで「誕生日なにほしい?」と聞く

(※なお翌日に高熱を出す)(※二か月前)

河合の誕生日動画もこのあたりに撮影している

 

8/21(土)

河合、「ハッシーのオムライス」とリクエスト。めずらしく返事が早め

 

8/28(土)

橋本、えびせんにて河合の誕生日の話をする(撮影はおそらく8/12)

 

9/24(金)

モーニングこんぱすで来月のコンサートの話。橋本は「オーラスは河合くんの誕生日だけどなんにもしませんから!」(やる気まんまん)と2回言う

 

9/28(火)

橋本、ブログにて、なにとは言わないが「20日なにしようかな」

 

10/15(金)

広島コンMCにて橋本、「誕生日なにがほしい?」と聞く。それもう前に聞いたやつ

(9/23に五関くんが橋本くんの手作りアクセをもらっていたのでその後しばらく河合くんは「俺もうすぐ誕生日だからほしい」と言っていて、橋本くんは「郁人はアクセサリーつけないでしょ、で、なにがほしい?」という文脈で聞いた)

 

10/19(火)

ラジオにてみんなでお祝い。いつも通り積極的な橋本

橋本、おたおめメールをスタンバイして寝てしまう(例年一番手だった橋本が送らなかったためか、全員が送らなかった)

 

10/20(水)

誕生日当日ライブ、えびラブにて橋本「ふみ、キュンです!」

オーラスライブの橋本による最後のコメントは「郁人、誕生日おめでとう」

※誕生日動画とかラジオとかライブとかで橋本くんはほかの人より多く「おめでとう」と言うのですがそういうのは言い出すときりがないのでこうして書きとめておくだけにしておきます

 

10/22(金)

こんぱすにてライブの感想を聞かれ橋本、「最終日河合さんの誕生日だったんですけど」とライブの感想ではなく誕生日の報告をする。このため、翌週改めてライブの話をした

 

10/24(日)

橋本、こうかんにっきで河合に「誕プレなにが一番うれしかった?」と聞く。河合さんは11/2に「みんなに祝ってもらったこと」とアイドル100点回答

 

10/26(火)

はしごラジオにて橋本、特に脈絡もなく「河合さん無事に誕生日も迎えましたしね」と言う

 

 

ところで毎年ブログなり様々なところで河合くんの誕生日どうしよっかな♪とワクワクしている橋本くんなので、てっきりお祝いは橋本くんが仕切っているのかと思ったら本年9/9発売のTVガイドpersonにて五関さんが「ずっと俺がやっている。スタッフが近くなると俺のところに聞きに来る」と言っていて衝撃を受けました。

ライブの際に橋本くんが「みんなで話し合って」と言っていたので五関さんの独断ではなさそうですが、あんなに「なにしよう♪」と張り切っているのに仕切りが橋本くんじゃないってそんな…衝撃…

J's 倶楽部 210420 はし→ふみインタビュー書き起こし

前日の所JAPANで河合くんの手を握ってあげてた頼もしい橋本くんから一転、河合くんを頼りにしてガチめの相談をする橋本くんというはしふみコンビの好きなとこがたくさん出ていたので記録しておきます(最後なんでお風呂のこと聞いたの?)

 

(*б_б) さっ橋本から河合さんへ、インタビュースタートです!

(*б_б) ちばでぇ
(☆^ш^) 千葉ね
(*б_б) はい
(☆^ш^) うん
(*б_б) MCを
(☆^ш^) うん
(*б_б) 担当さしてもらってるんですけど
(☆^ш^) はいはいはい
(*б_б) すごい最初きんちょうしたの
(☆^ш^) うん
(*б_б) めちゃくちゃ
(☆^ш^) そりゃ緊張するよね
(*б_б) そう。で、
(☆^ш^) MCだもん
(*б_б) ふみとも、情報番組さあ、週で? え、ふたつ?
(☆^ш^) やってるね
(*б_б) やってるじゃないですか
(☆^ш^)うん
(*б_б) 最初、めちゃくちゃきんちょうしました?
(☆^ш^) ん〜
(*б_б) 決まったとき、金曜日のレギュラー、情報番組の
(☆^ш^) ま、でもその、河合的に言うとぉ、はっしーはMCだけど、そのコメンテーターだから、ちょっとその、緊張はしたけど、MCのほうがやっぱぜったいにねぇ河合的には緊張すると思うんだよね
(*б_б) ほんとですか!?
(☆^ш^) うん。見てんだけど俺も
(*б_б) あ、ほんとに!?
(☆^ш^) あ、全部ではないけども
(*б_б) あ、そうそう
(☆^ш^) 見てんだけど、しっかり普通にできてるじゃんって河合的には思うけどもね
(*б_б) あ、ほんとですか? そのふみと、コメンテーターじゃない? 
(☆^ш^) うん
(*б_б) やっぱりその〜じゃあ情報いただきます、その情報みて、このコメントしようとかもう、じぜんにかんがえてる?
(☆^ш^) あぁ〜いや〜でもねぇ
(*б_б) それパッとでてくるようなもんなの?
(☆^ш^) ん〜そうね、でも他のコメンテーターの方もいるから河合的にはその
(*б_б) 河合的にはそれさっきからなんなの!? それ言わなくても大丈夫だから!
(☆^ш^) あ大丈夫?
(*б_б) 河合的には?
(☆^ш^) 他の方が話してる間に考えてる
(*б_б) あ、そう
(☆^ш^) 事前には本当に、番組始まる5分前くらいに打ち合わせバーっとしてそのまま本番だから
(*б_б) うんうんうん
(☆^ш^) そう、なにを話そうかっていうのは決めないでこうやってるかな
(*б_б) あ、ほんとに。でもじぜんにさ、この資料わたされてさ
(☆^ш^) あぁなんとなく
(*б_б) なんとなく
(☆^ш^) あ、朝だからそれができるんじゃない? 俺昼過ぎだから
(*б_б) あ、そっか
(☆^ш^) 午前中のあいだにいろいろ
(*б_б) かわってくるから
(☆^ш^) かわってるから、あんまり事前の資料ていうのはそんなに多くはないの
(*б_б) そうなのよ、かんがえちゃうのよね
(☆^ш^) でもあの、失敗しちゃっていいと思うけどね
(*б_б) あーそう
(☆^ш^) 逆に。最初からきれいに行くほうが怖いっていうか
(*б_б) まあね
(☆^ш^) そうそうそう、河合的にはコメンテーターで
(*б_б) ふふっ
(☆^ш^) しゃべるときもお、あんまこうしったかしないで、自分がほんとうに思ったこと
(*б_б) あーなるほどね
(☆^ш^) コロナに対してとかなんかそのなんかの事件に対しての思ったことを、視聴者の方の目線で喋るようにしているね
(*б_б) あーなるほどね
(☆^ш^) うん
(*б_б) ふみとの番組ところは、MCのかたいるじゃないですか
(☆^ш^) うん、石井さんね
(*б_б) で、そう石井さん、石井さんにふられてしゃべりだす? それともふられるまえにしゃべりだす?
(☆^ш^) あ、ふられてから
(*б_б) ふられてからなんだやっぱり
(☆^ш^) うん。だいたい石井さん困ったときに、俺かますおかの増田さんにふるから
(*б_б) おお〜そうなんだ
(☆^ш^) そうそうそうそう。なんでこのタイミング? ってときもたまにあるけど
(*б_б) そう
(☆^ш^) でもなんかふられてから基本は
(*б_б) そうねだからふみとのその石井さんがふって、しゃべりだすっていうのが新鮮だったのおれ
(☆^ш^) ああ
(*б_б) いつもふられる前にバスバスいうふみとしかしらないから
(☆^ш^) あでも俺けっこうバラエティ出ててもふられるまではあんまりしゃべんない
(*б_б) んなこたぁない
(☆^ш^) いやいやいや、いや河合的にはやっぱり邪魔しないように
(*б_б) ほんとかよ
(☆^ш^) ほんとほんと
(*б_б) あーそう
(☆^ш^) グループでいるときは、こう、いくけど
(*б_б) そう、グループのときはね
(☆^ш^) 1人で出てるときはそうね、えっでも言ってんのかなあ。情報番組だから、よけいふられんの待つのかもね
(*б_б) あぁ
(☆^ш^) あんまごちゃごちゃするとよくないからね
(*б_б) うんうん、おもしろいですね。そのきんちょうふくめて、その〜どういうたたずまいで
(☆^ш^) うん
(*б_б) ね、がっしりいればいいのかっていうのを相談してみたかった
(☆^ш^) ぜんぜん、最初っからできなくていいと思うけどね
(*б_б) あっそう、こわいじゃない
(☆^ш^) ま怖いだろうね。わからないことはもうすなおに、俺普通にだって、漢字読めないとき普通にこれ漢字なんでしたっけって言うもん
(*б_б) あっ、そんくらいの気持ちでいったほうがいいのか!
(☆^ш^) そうそうそう、逆になんか、多分こういう読み方だなっていうより、もうなんかそこまで素直に言っちゃっていい気がするけどね
(*б_б) あっ、そう、でもMCですよ
(☆^ш^) MCでも
(*б_б) でもふみとのキャラはそれでいいんだと思うはけどもさあ、やっぱりさあなんか
(☆^ш^) いや、大丈夫じゃない? 別に
(*б_б) あそう?
(☆^ш^) だって間違った漢字を
(*б_б) まあ言う方がねちょっとね
(☆^ш^) 言う方がアレだから。これってなんで読むんでしたっけって普通にサラッといっちゃった方が
(*б_б) あ、ほんとに
(☆^ш^) わかんないときはね。まあ基本はそうならないようにした方がいいけど
(*б_б) まあね
(☆^ш^) そうそうそう
(*б_б) まあね。なるほどね。ありがとうございます。じゃあインタビューはもうあれ
(☆^ш^) 終わり?
(*б_б) 終わりで。あの〜おふろはいるとき、体さいしょどっから洗います?
(☆^ш^) えっとね〜はなのあな
(*б_б) はなのあな! あたらしいですね
(☆^ш^) うん
(*б_б) はなのあなですか
(☆^ш^) そう、はなのあなにやっぱね、菌とかたまっちゃうから
(*б_б) あ、なるほどね
(☆^ш^) 2本でね
(*б_б) ぐりぐりと
(☆^ш^) ぐりぐりする
(*б_б) 痛くないんですか?
(☆^ш^) 気持ちいいよ
(*б_б) 気持ちいいんだ
(☆^ш^) 河合はそうしてる
(*б_б) あ、ほんとに。鼻うがいとかじゃないんだ
(☆^ш^) じゃないじゃない
(*б_б) そして時間きました
(☆^ш^) キャッハッハ! すっげーこのおわり
(*б_б) すみませんいろいろ聞けて、ありがとうございます
(☆^ш^) いえこちらこそ
(*б_б) うれしかったです
(☆^ш^) いいえ。インタビューうまかったよはっしー
(*б_б) ほんとですか? いや、ほんとにねぇ勉強になりましたし、ほんとになんか間違ってもいいんだっていうのを
(☆^ш^) そうそうそう
(*б_б) 恥ずかしがらずに
(☆^ш^) それくらいの気持ちで全然いいと思うし
(*б_б) やったほうがいいんだなっていうのをちょっとあらためて思いましたね
(☆^ш^) 新鮮だね、2人で話すって言うのがね
(*б_б) そうねたしかにね
(☆^ш^) あんまないからね
(*б_б) そうそう
(☆^ш^) 河合的には
(*б_б) ふみ、
(☆^ш^) めちゃくちゃおもしろかったですけどね
(*б_б) ふみとにしか相談できないことだからね、ここは
(☆^ш^) そうそう
(*б_б) 聞きたかったんですよ

(*б_б) 橋本のインタビューでした~

2020年河合くんの誕生日と橋本くんメモ

はしふみ担として色々てんこ盛りすぎた2020年の誕生日をメモとして残しておきたいというだけのエントリーです。コメント等はあえて「こういうことを言っていた」という概要にしてあります。今年の10月は例年以上にこゆい10月であった…

 

10/6(火)

初のはしふみラジオ。橋本、オフレコで「ふみちゃん」と呼んだ疑惑。

2週間後のふみ誕にラジオがあることを言いだし、「あの手紙の企画あるんじゃないかな、いや知らないけども!」と、二足早くふみ誕の話をする。

(誕生日動画撮影/馬チャレ誕生日祝いはこの日かも?)

 

10月中旬

Wink up取材に橋本「誕生日どうしようかな。このご時世だからケーキはやめて花束かな。個人的にお祝いはする。ヨガマットをプレゼントしたい」

 

誕生日数日前

橋本「もうすぐ自分の誕生日だからっておれの誕プレいまさら渡すの笑」

 

10/19(月)

こうかんにっき、橋本から河合へ。誕生日なので生クリームを箸で泡立ててほしいというパス。生クリームとスポンジはプレゼントしますとのこと。

CDTV生放送の前のコメントで、「あと2時間で誕生日だからって」と一人で誕生日の話を振る橋本。

 

10/20(火)

ポニキャ主催、サプライズ誕生日カード。橋本「いつも半目で寝てるね♡」

こうかんにっき、CDTVの現場で生クリームを受け取った河合、泡立てているうちに日付を超す。

今年もおめでとうメール一番乗りは橋本。

はしブロ「どこでお祝いされるかドキドキしちゃうかな? 個人的にはします」

夜公演アドリブ、「今日誕生日だからなにしても許されると思ってる」

夜公演、橋本のガイダンスで誕生日のお祝い。「リーダー河合くん」とひたすらあまあま好き好きのはっしー

公演後のラジオで橋本「おれ、ふみとの寝顔、めちゃくちゃ大っ好きだよ」

橋本からのプレゼントは馬のコルクがついたワイン。 

『日本文学の旅』元ネタの旅

橋本良亮さん(A.B.C-Z)・新納慎也さんが立たれている朗読劇『日本文学の旅』、劇中で紹介されている元ネタをわかる範囲で並べました。当方の不勉強で欠けている部分がございましたらぜひご指摘いただけると助かります。

舞台そのものは、知識がなくても意味より音を重視する作品だなと思っていますので、中身より「聞く」ことを意識されるほうがいいんじゃないかと。個人的に上古も近代も詩歌の知識がめちゃくちゃ弱かったのでそのメモです。

盛大なネタバレになると思いますので、ご自身の責任でご覧ください。

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「会いに行けるアイドル」小山慶一郎

2014年から2018年までの四年間、小山慶一郎は「会いに行けるアイドル」だった。

それが終わってしまったのは、小山くんがevery.を降板したからだ。今回の件については、言いたいことが山のようにあるのだけれど、それは脇に置いておく。人は思いたいようにしか出来事を解釈しないので。だから、これは私が「会いに行けるアイドル」だった小山くんに会いに行った、何回かの記憶で、それだけに過ぎない。ただ「会いに行けるアイドル」は最高だった。どうかこれを読んで、多くのオタクたちよ、あの時期小山慶一郎が至高の「会いに行けるアイドル」であったことを知ってほしいし、そして、自分にもこんな現場があったらと、羨望してほしいと思う。

 

2014年1月から、それまでnews every.の水曜レギュラーだけだった小山くんが、4時台創設に伴いメインキャスターとなった。そして「おかえり天気」というコーナーでは木原さん、そらジロー、鈴江アナ(のちに中島アナ)と一緒に外に出てきて、その日のお天気の様子を伝えてくれるようになった。

当時every.では4時台、一部の時間帯を日テレ汐留の2階にあるマイスタから放送していた。小山くんは毎回のように、報道フロアでトップニュースを読み、中盤に移動してマイスタでコーナーをこなしてから外にあるマイスタ広場に出てお天気、それからまたマイスタで4時台の終わりまでニュースを読んだ(水曜日は5時台以降の出演もあるため、駆け足で報道フロアに戻っていた)。

私たちが会いに行けたのは、マイスタに降りてきて、報道フロアに戻るまでの3、40分ほどの時間だ。しかしこれが、普通のアイドルにはない特異な時間帯だった。

アイドルというものは、基本的にコンサートでしか会えない。

日テレはそのころ、早朝ZIP!、昼前のPON!、そしてnews every.と各所でタレントを生で見られるコーナーを持っていた。PON!では基本的にはゲストだったが、やはり小山くんと同じNEWSの増田貴久くんはレギュラーを務めていた半年ほどのあいだ、毎週月曜に会えるアイドルだった。ZIP!も早朝だが、会えることもあるだろう。それが小山くんは、月火水木と4日間、会える。これはどう考えても本家会えるアイドルであるAKBよりも多い(AKBは日々出るメンバーが変わる)。日本で一番「会いに行けるアイドル」、それが小山慶一郎だった。しかもevery.へ見学に行くのは交通費を除いてタダだ。会ってファンサまでもらえるのに、タダなのだ。それなのに最大週4回も会える。コストパフォーマンスが最高にいいアイドルだった。

 

小山くんに会いに行けるらしいぞ、という噂を耳にしたのはいつ頃だったろうか。私が聞いたのは帯で番組に参加することがはじまって、しばらくしてからだが、はっきりと記憶にはない。しかし私も月金クジゴジで働く社会人なので4時の汐留というのはたいへんハードルが高く、それに行けたとしてもひとりというのも寂しいので足を運ぶまでではなかった。

友人の中で最初にエブった(every.へ小山くんに会いに行くことをわれわれは「エブる」と称していた)のは、NEWS担ではなくエイターのKである。村上担であるKは2015年の1月、ヒルナンデスの番協に当たって汐留にいた。で、そんなときにわたしが「それならevery.も見て行けんじゃん」とそそのかしたら、Kはその通り行ってくれた。しかも村上担として番協に参加していたKは、紫の服を着ていた。周りの人たちは、小山担だろうと察して見やすい位置に入れてくれたという。

そんな話を聞いてから、わたしもevery.に行きたい気持ちが高ぶり、その年NEWSにすっころんだばかりのGとともに、2015年3月18日、汐留にむかった。ちょうど、仕事の有休をとるべく設定されていた日だった。

 

3時くらいから場所取りをしたが、はじめてなのでどこから見ればいいのかよくわからない。それであまり人がいないところを選んで立った。スタッフの人たち、そらジロー、木原さんが出てきて、撮影の準備が進められていく。特にそらジローや木原さんはとても親しげに手を振り返してくれたりして、楽しかった。

出てきた小山くんは、さすが報道のお仕事中で、見学者にむかってクールに手を挙げるくらいだった。ところがお天気が終わり、マイスタでのニュースが終わってあとは上に戻っていくばかりというときだ。くるっと後ろをむいて、ニコッと笑い、われわれ見学者各所にむけて手を振ってくれた。そのとき、私とGは初心者だったがゆえにあまり人のいない場所に立っていた。本番が終わったあと、小山くんはとても華麗にターンをして、ピンポイントで私たちにむかってまず手を振ってくれて、それから数か所のファンにむかっても同じように手を振った。私たち二人のためにファンサをしてくれたのもすごいのだが、そこに見に来ている人たちがいると背後もきちっと把握していたことがすごい。そしてそのふりむいたときは、ニュースキャスターではなくアイドルで、とてもやんちゃでかわいい笑顔をしていた。

後でわかったのだが、その日、小山くんには密着のカメラがついていた。それでいつもよりテンションが高かったのかもしれない。every.の本放送と、われわれが肉眼で見たものと、密着が行われた映像と、三回おいしい2015年3月18日だった。

小山くんは、いつだって必ず最後に手を振るために顔を出してくれた。暑い季節には華麗にジャケットを脱ぐ様を披露してくれることもあった。シャツのカフスを外すのもおいしい。私は見たことがないが、ネクタイを抜いたりということもあったそうだ。オタクとして、拝むしかない光景だ。

 

every.の場所取りは、どこがいいのかは人それぞれだ。それに、放送のときのカメラのむきも日によってまちまちだったので、顔を見たいと思うと場所を変えねばならない(どうしても見えないときもある)。それに、マイスタ広場での近さを選ぶか、マイスタの中にいるときの姿も見える場所にするか、等々もかかわってくる。場所によっては生の声も聞こえてきた。少し遠いと、ワンセグで番組を見つつ本物の小山くんを見たりしていて、でも声が聞こえそうだと音は消した。

私とGは、はじめて行ったときのファンサが忘れられず、マイスタの正面あたりが定位置になった。お天気報道のときはガラス越しになってしまうが、人が少なめで、見やすい場所だ。マイスタの中もそれなりに見えたが、夏などはガラスが反射して見づらくなる。その一方、マイスタ広場でこちらに背をむけて立つ角度での撮影のときは、そのマイスタのガラスに姿が反射して、顔が見えるということもあった。間にあるゴールドクレストが伸びすぎて見えなくなったり、スタッフがマイスタのカーテンを閉めてしまったり、いろいろなことがあった。はじめて行った日は私たちのほかに人もいなかったあたりだが、そのうち小山くんの人気も出てきて、そこも人がいっぱいになっていったのを思い出す。

一番近いのは、マイスタにむかって左手で、小山くんがスタンバイしているときなど、本当に手が伸ばせるほどの近くになることもある場所だ。木原さんが放送後に見に来た人との写真を撮る場所でもある。そらジローは触らせてくれる(ふかふかしている)。一度、コンサート開始直前の木曜日にそのポジションに行ったことがある。きっと午前中もリハをしていただろう小山くんはご機嫌で、ご機嫌すぎて、みんなの目の前のスタンバイ場所でくるりとターンをしてしまった。しかもなぜか見に来ているわれわれのほうに顔を見せるようにターンしてしまった。かちあう視線。「あっ…」となるわれわれと、「あっ…」となる小山くん。そのあと恥ずかしそうに「ちぃっす」という感じで会釈してくれた。コンサートがいよいよ始まるというときにテンション高くつい踊ってしまう小山くんは、小山くんが「会いに行けるアイドル」だったからこそ見られたものだった。

エレベーターに関する楽しみもあるが、それは口をつぐんでおこうと思う。入ってはいけない場所に入ったことはもちろんないし、シースルーエレベーターを用意しているのは日テレではあるが、まあ、見る側も見られる側も少し気まずい場所である。一度、スカスカのエレベーターに乗った小山くんが、遠目だが見学に来ていた人たちに見られているのに気がついてしまい、超絶かっこいいポーズを保持したままかなり上のほうの報道フロアまで登っていったことがあって、ごめん…という気持ちになったことだけを記しておく。

 

月金の勤めとはいえ、私は休出がバカみたいに多い仕事なので、たまに平日が休みになることがある。平日の4時台なんてハードルが高いなって思っていたはずだったが、一度会いに行けるアイドルの快感を味わってしまったらもうハードルなどないも同然だった。チャンスがあれば即座に汐留に行くようになっていた。

しかしマイスタの出演は必ずあるものではなかった。重大ニュースがあって、ずっと小山くんが報道フロアにいることもよくあることだった。そんなときは、マイスタの人がよく立ちやすい場所に「本日、小山さんはマイスタおよびマイスタ広場での出演ありません」と紙を張ってくれたりした。

アルバム『QUARTETTO』の発売日、休みだったのでGとともに汐留にむかったのだが会えない日だった。そのあと汐留のタワレコでアルバムを買い、そのままカラオケ店でCDを流して結局NEWSな一日を送った。そういう一日の過ごし方も楽しかった。

 

特別なevery.は何度かあって、そのひとつが2016年12月15日だ。地方住みのCが別件で平日に東京に来るというので、少しスケジュールに無理をしてエブることになった。当初はそれだけの理由で予定を入れていたのだが、その日は手越祐也がCWCで電波ジャックする日と重なっていた。これまで、手越くんはevery.に出ても報道フロアでの出演のみだったので、マイスタに期待していなかったのだが、この日は初めて、手越くんがマイスタ広場までやってきた。以前、加藤シゲアキくんが本の宣伝で出たことはあってそれはテレビで見たのだが、メンバーの生出演を見られるというご褒美に震え上がった。ちなみにとても寒かった。手越くんがマイスタ広場に現れたとき、並んでいた見学の人たちがぐっと息を飲む音が気配が伝わってきた。放送が終わると、小山くんは手越くんにむかって拍手を送って、われわれも拍手をした。コヤテゴはそこで握手を交わし、手を振った手越くんが中へ。そして、小山くんも丁寧に頭を下げて、中へ入っていった。

この年は24時間テレビをNEWSが担当した年で、8月にも実は、このマイスタで事前番組の生放送があり、そのとき小山くんと手越くんが並んでいたのを見られてはいたのだが(もっとも、その際はマイスタ広場には出てこなかった)小山くんのevery.に出るというのは特別だった。あの日は、本当だったらエブらないはずの日だったので、いまでもCには「あの日行くと言ってくれてありがとう」としつこく言って、気味悪がられている。

 

ほかにもevery.の楽しみといえば小山くんのマネージャーである。コーナーが始まる直前になると、「撮影禁止」という札を持ったマネージャー氏が登場する。NEWSICALにも映っているマネージャー氏である。私には名前などはわからないが、行くたびに毎度顔を拝見するので変な親しみがわいてしまった。ちなみに、小山くんが日テレの入構証をくもジローのケースに入れていたのは知られているが、マネージャー氏は同じシリーズのそらジローを使っていた。マネージャー氏がそらジローをぶら下げているのを見ると、いつも「おそろいかあ…」とほっこりしたものだ。

 

私がはじめて行ったときからすると、小山くんに会いに来るファンはどんどんと増えていった。それを見ていて、いつまでもこの「会いに行けるアイドル」が続けられるわけではないなとも思っていた。その予感は的中して、2017年の3月29日に、翌週からコーナー変更が行われることが告知された。翌日が最後だった。ありがたいことに休みだったので、気合を入れて最後のマイスタ広場を見学しに行った。もちろんその日は、たくさんの人がいて、小山くんも最後だからみんなが来たことがわかってくれていたのか、いつもは出てきたときはクールで、終わってからだけアイドルだったのに、この日ばかりはまず笑顔でたくさん手を振ってくれた。

そのあともevery.ではマイスタを利用していたので、スタジオの中にいる姿だけだが、まだ小山くんを見ることはできた。見学に来る人たちはぐっと減ったが、それでも、行くと一人ではなかった。小山くんは、必ずわれわれにむかって手を振ってくれた。マイスタは、小山くんが元気でいる姿を見られる場所でいてくれたのだ。ときどきは、予告なくマイスタ広場や大屋根広場に登場した日もあった。さすがにそういうのに遭遇することはなかったけれど、私もGも、以降も気軽に汐留に遊びに行った。

 

いまでもときどき、平日が休みになると汐留に行きたくなることがある。私は汐留がとても好きだ。あそこにいたファンは常連が多かったようで、連帯感があった。「会いに行けるアイドル」に会いに行っていたのに、みんなとても節度を守っていた。たとえばPON!がジャニーズのゲストだったり、増田さんがレギュラーで出たりするときは、見学の人たちはうちわを持っていっていた。アイドルの現場なので、それはよいのだ。でもevery.で小山くんはキャスターだった。だれに言われたわけでもないのに、every.の見学ではだれもうちわやメッセージボードを出さなかったし、「小山くーん」という名前ですら、声かけもしなかった。手を振るというのが、だれに指示されたわけでもないわれわれの唯一のコミュニケーション手段だった。

その最たる瞬間が、先ほども語った手越くんが出てきた日のことだ。たぶんみんな、「キャーッ!」と叫びたかったのだと思う。けれど、every.はそういう場ではない、という意識が共有されていて、みんなぐっと息を飲んだ。小山くんが大切にしているevery.という場所を、われわれも大切にしていた。

every.は小山くんに会いにいけるとともに、とても良質な現場だった。正直あんな現場は二度とないのじゃないかと思っている。たった数年ではあったが、たぶんボケてもevery.は最高だっと私は言い続けるだろう。だからたくさんの人に、そういう現場があったのだと知ってほしいし、またどこかでだれかの、そういう現場があったら素敵だなと思っている。

私の愛した気まずい

その日、錦戸亮がわれわれにむかって「エイター!」と叫んだ。きみがエイターとゆったから、9月9日はエイター記念日。いままで、「すばるくんはようゆうけど俺は恥ずかしい」とエイターと呼んでくれなかった錦戸亮が、GR8ESTから「エイター」と口にするようになった。つまりそれは、そういうことなんだろう。渋谷すばるが言わなくなったかわりに、錦戸亮がわれわれをそう呼ぶ。彼の気まぐれではなくて、その後、台北でも聞くことができた。

わたしはす担だが、どんなすばるくんが一番好きかといえば、「錦戸亮の隣で歌う渋谷すばるが好き」というす担だ。二人が声を重ねる瞬間が一番好きだ。歌うすばるくんを見ている錦戸亮が好きだ。気まずいと呼ばれた二人が好きだった。

NEWSの現場を見たりすると、錦戸亮は二つのグループから一つを選んだのではなく、渋谷すばるの隣を選んだのではないかと思うことがある。渋谷すばるは、錦戸亮にとって運命だったから、その隣を選んだんじゃないかと。亮ちゃんはセンターになりたくなかったのではないかと私は考えていて、ゆえに渋谷すばるというセンターのいる関ジャニ∞がよかったのだとも思っている。もっともそのすばるくんが抜けて、錦戸亮関ジャニ∞でセンターになるというのは、本当に皮肉だ。

でも、その彼がすばるくんに「俺が背負っていくから」とメールをしたというのは、錦戸亮がみんなの中心に立って歩きだせるくらい、強い男になったのだと感じさせる。

 

メンバー脱退後のKAT-TUNやNEWSは、暴力的なまでに前へ奔ってゆくように見えていた。手越祐也は4人になってからほかの3人に「俺が斬り込み隊長になる」と宣言していて、それはまさに、彼らが強くなると決めたことの象徴だった。翻ってGR8ESTのエイトを見ると、彼らはこんなに弱かったのだな、すばるくんに依存していたのだなと思い知らされた。強がったり、わかりやすく感情を昂らせたり、泣いたり、いろいろなのだけれど、すばるくんは6人の本当に心の柔らかな部分まで食いこんでいた。錦戸亮は強くなったと書いたが、たぶんまだ、大部分が強がりだ。でも六人ともがなんとか強くなろうとしている。

 

このエントリーの目的は、渋谷すばる錦戸亮の運命だったんじゃないかということを書くことで、だからすごく頭の煮えたことを書くことになると思う。着地点もよくわかっていない。なぜならすばるくんは亮ちゃんの運命だったと言いたいだけだからだ。

脱退するという発表があって、最初に錦戸亮からの言葉があったのは「13歳だった僕を導いてくれた先輩」だった。それまでも私は、すばるくんは亮ちゃんの運命だと思っていたが、これほどはっきりと本人から運命だと語られたような言葉があるだろうか。共に過ごしたとか、追いかけたとかじゃなくて「導く」という言葉には、深い色合いがにじんでいないだろうか?

そこからはしばらく、スポットライトが当たっていたのは三馬鹿だったりして、気まずいを見たい私は少し歯がゆい思いをした。自分に思い入れのあるコンビだけを見たいというのもひどい話だし、三馬鹿の絆が特別だったことはわかっている。安田章大の怪我がなければもう少し全員揃っての露出もあったかもしれないが、こればかりは仕方がない。

Mステ、クロニクル、Mデイと終わりの時間が近づく中でも、気まずいはほとんど見られなかった。そして関ジャムだ。亮ちゃんは彼自身とすばるくんを「ジョンとポールのようとは言えないけれど」と、そうコメントした。ジョンとポール。正直に言うとビートルズのことはそんなに詳しくない。それでも亮ちゃんがその名に託したものが見えた。あのジョンとポールに、亮ちゃんは自分とすばるくんを例えた。なれなかったとは言ったけれど、その二人は亮とすばるより短い時間で傍を離れたんだから、超えてるといったっていいんじゃないか。だから私はもう一度言いたい。渋谷すばるは、錦戸亮にとっての運命だ。

その後のセッションで亮ちゃんはようやく泣いて、泣きながら最後の曲を終えた。「やっぱり寂しいなあ、なあ、すばるくん」と彼はすばるくんの隣で言ったけれど、すばるくんは大きな瞳に涙をためたまま、微動だにしなかった。言葉を交わしたり、錦戸亮を見たりしたらきっと彼は泣き崩れてしまうと思っていたのだろう。すばるくんが泣かなかったのは正しかったと思う。でも亮ちゃんは、すばるくんの涙を見たかったに違いない。

それまであまり別離への感情をあらわにしなかった亮ちゃんが、最後になって泣いて、そして収録を終えて帰宅してからも整理をつかない感情を前に煩悶したことを明かしてくれたのは、すごいことだと思っている。

これからの関ジャニを背負っていくというメールを最後の夜に送り、その内容はファンに秘密にしようとした亮ちゃんと、そのメールを最後のジャニウェブに書いたすばるくん。そういうのも、私が好きな気まずいそのものだった。亮ちゃんが、もっと踏みこんだ二人のことをメールに書いていれば、それは二人の間の秘密になっていったのかもしれないけれど、亮ちゃんはエイトのことを書いたので、だからこれからの未来の関ジャニ∞のためにすばるくんは我々に見せてくれたのだろう。きっと亮ちゃんは、「すばるくんが背負ってきたエイトをこれからは俺が背負う」と伝えようとした。でもその、二人きりの部分が見えなくて、あるいはすばるくんはあえて見なかったふりをして、だからこそ私たちはあの夜のメールを知ることが出来ている。すばるくんが関ジャニ∞を愛しているとわかったエピソードでもあった。

二人でご飯に行くことがずっとなかった、というのを二人のエピソードとして私たちは知っていて、おそらくそれは2017年の新年盤の特典から見た限りではまだ続いていた。けれどすばるくんを説得しようとしていた時期に、いろいろ話をした中で、亮ちゃんとすばるくんが二人きりで食事をしながら話をする、という一幕があったんじゃないかと夢想している。何年かずっとあとに、そんな話が聞けたらいい。

 

気まずい担である私にとって、エイトでの特別な曲は『キングオブ男』『LIFE~目の前の向こうへ~』『侍唄』だ。LIFEはエイトにとって思い入れのある曲だからもちろんだけれど、侍唄も二人がハモる部分があまりにも美しくて、本当に好きな楽曲だ。この中でいまだ6人エイトで歌われていないのが侍唄だから、いつか披露されたときにまたとてもしんどくなるのだろう。

『キングオブ男』で亮ちゃんとすばるくんが手を握り締めるところは楽曲のクライマックスでもあって、お兄ちゃんチームと弟チームの和解が成り立つ部分として音楽とダンスでも要の部分であり、そして気まずい担にとって最高のワンシーンなのだが、すばるくんがいなくなってなにより安否が気遣われたシーンでもある。だれが担当するのか。チーム分けされているので、村上信五横山裕であるべきだが、一人が独占するのもおかしいわけで、持ち回りとか、様々な憶測があったように思う。私は、すばるくんがいた時分から大倉忠義がやりたがっていたのを知っていて、「つっぱって」と歌われるときに彼がモニターを見ながら一人でつっぱっているという話も聞いていたので、それくらいしているのであれば大倉忠義にならその役割を譲渡してもいいのではないかとも思っていた(大倉くんが、実際のところすばるくんになって亮ちゃんと手を繋ぐことを想定していたのか、亮ちゃんになってすばるくんと手を繋ぐことを想定していたのかはわからないのだが)。それでどうなるのかなと固唾をのんで見守っていたら、錦戸亮が自分のパートのまま続けて歌った。泣かずにはいられなかった。

後日それを亮ちゃん自らが望んだと聞いて、また泣いた。

将棋崩しのように、彼が歌ったパートを六人が少しずつとってゆく。ここを歌いたいとか、ここなら歌えるとか、様々な理由で。たぶん亮ちゃんの中で、あのパートを手にすることだけは、最初から決めていたんじゃないだろうか。

東京で見た2回では、泣いてしまって錦戸亮がどんな面持ちで歌っていたのか、全然見届けられなかった。台湾でようやく、泣かずに見られた。錦戸亮は男前だった。

でも思う。すばるくんと手を繋ぐ瞬間ににやっと笑ってしまう錦戸亮が好きだった。すばるくんの歌のパートに入ってすぐに自分の手や彼の手を見つめてにやにや笑ってしまう亮ちゃん、ひっぱりすぎてすばるくんとぶつかりそうになってしまい、慌てるすばるくんの手をぎゅっとつかんで離さない亮ちゃん、あの15秒間に及ぶ私の大好きな気まずいは、永遠に失われてしまったのだ。亮ちゃんはニヤけず、男前に歌う。

 

自担がいなかったにもかかわらず台北にまで行った私ではあるが、単純に関ジャニ∞の初の海外公演楽しかったよ! という他に台北に行ってよかったなと思ったことがある。実は東京のGR8ESTに入っただけでは、6人の関ジャニ∞を実感しきれていなかった。それはたとえば、大倉忠義が腸閉塞で不在だった元気コンオーラスみたいなもので、どこかにまだ7人の関ジャニ∞があるような気がしてしまった。

でも台北を経て、もう6人なんだなと私は実感ができた。たぶんそれは、海外公演とか台北アリーナとかいうものがすばるくんの見たことのない景色だったからで、日本にあったドームでの公演とはわけが違う。いまはもう、関ジャニ∞は6人なのだなと、実感している。

わたしは十祭に入れなかったので、気まずいのユニットを自分の目で見ることができなかった。それだけがずっと心残りだ。すばるくんのソロコンには入れたし、ジャニズム福岡で、ハケるときに亮ちゃんが隣のすばるくんに抱きつくという前代未聞の場面も見ることができていたから、あんまり贅沢は言わないけれど、二人のユニットは見たかった。それは本当のところはkichuでも足りないことで、二人が二人だけで作る音楽を聞きたかった。それだけが心残りだ。

なんにせよ二人はジョンとポールだ。気まずいとかすばりょとかいうコンビ名もよかったけれど、最後の最後に私の好きだった二人は「ジョンとポール」なのだと名前をもらったことが、すごく嬉しい。ビートルズには詳しくないが、ジョンとポールの出会いが運命だったことを否定する人はあまりいないだろう。亮ちゃんとすばるくんも、運命だった。私の好きなコンビは、ジョンとポールだ。

AFTER THE GR8EST(記録:東京9/7、9/9)

6人ツアーの開始からおおよそ2か月、ようやく東京2日目、4日目とGR8ESTに入り、やっぱりとても楽しかった。何度も泣いたけど1回目よりは2回目は泣かなかったし、いつまで泣くかわからないんだけれど、少しずつ減っていくのだと思う。

ただちらっと、そうやってすばるくんを忘れていくことを悲しいと思う部分もあって、すばるくんの不在に慣れていきたくない気持ちもある。このまま行くのをやめれば、慣れないで済むかなと。でもそんな気持ちよりずっと、関ジャニ∞のライブはサイコーに楽しいんだよね。

慣れていくのは我々だけでなくエイトも同じで、東京2日目、MCではすばるくんのことをほぼ触れなかったし、たまに大倉がつらそうな顔を見せてくれるくらいだった。その日は10公演め(ただし大阪の中止があったので本当は9公演め)で、それだけやれば6人のステージにも慣れるはずだ。

4人になってからのNEWSを見ていると、音源では6人や8人時代の曲なのに、ライブで聞いた4人の歌割でしか記憶していないものが多々ある。そうなっていくのがわかっている分、すばるくんが消えていくことが見えているので、やっぱりそれはつらい。すばるくんの声で歌われるから好きなパートというのがやっぱりある。NEWSは次々と4人バージョンの曲を発表しつつあって、音源でも上書きが行われている。9人時代から追いかけている友人は切ない顔をするけれど、4人になってからファンになった身としては、4人音源が手に入るのは嬉しいのだ。何年先かは知らないけれど、エイトも音源を上書きしていくこともあるだろうなと、思っている。関ジャニ∞として今を生きる彼らには必要なことだから、悲しいけど仕方ない。仕方ないけど、悲しい。

私の頭になかには2つのバージョンの『応答セヨ』が流れている。ひとつはすばるくんが「僕はスターライダー」と歌う『応答セヨ』、もう一つは亮ちゃんが歌うもの。すばるくんが生で歌う『応答セヨ』を聞くことがなかったので、もう上書きされかかっている。そういう意味では、すばるくんが歌わなかった『応答セヨ』ではじめて、すばるくんがいなくなってから発表した『ここに』で終わるGR8ESTは、とても完璧だ。

 

もうエイトはすばるくんのことは今更振り返らないのかなと思っていたのだが、東京4日目はその二日前とちょっと様子が違った。大倉が泣きそうになっていたのが早かったし、それにつられていたのか横も表情が固く、重たい空気をまとっていた。亮ちゃんは挨拶ですばるくんの不在に触れて、「これが現実なんで、僕らこれでもう何回もやってきたから」と強がるように言った。信五さんが酸欠で倒れたのも、最後のあいさつでおかしな笑い方をしていたのを引きずったのだろうけれど、それを見ていたわれわれは、彼が泣くんじゃないかと思った。こういうものだからとうそぶき、慣れていっているのは確かだろうけれども、とはいえまだ浮き沈みはエイトの中にあるのだろう。

同行者と私自身のスケジュールもあって、早い段階の公演には行けなかった。でも、札幌公演に入ったらそれこそ、もう立ち直れなくなっていたかなと思ってもいる。

エイトは話し合いを尽くして記者会見に臨み、わずかに泣いていたけれど取り乱さなかった。だからこそ心の隅では、彼らが話す「めちゃくちゃ止めた」というその姿こそ見たかったような気もするけれど、それを見せないでくれたことも、すごく感謝している。

 

GR8ESTに入る前、少しだけ「始まるんじゃない始めるんだぜ」という歌詞を受け止めきれずにいた。エイトが前に向かって進んでくれるのは嬉しいのだけれど、この曲を生で聞いてしまったら6人のエイトが始まってしまう、つまり、7人のエイトが終わってしまうのだなと思っていた。もちろんもうツアー初日の7月15日から始まって終わっていたのだけれど、「自分にとって」はまた違うので。

でも入って、6人の姿を見たら気持ちはがらりと変わった。「また逢えたら歌おう、リズム刻んで踊ろう/また逢う日を歌おう いまを刻んで行こう」という歌詞は、始まりの始まりなんだと信じられた。いつか一緒になにかしてほしいなんて思っていないけれど、それぞれが求めるものを手に入れてほしいし、それまでずっと関ジャニ∞を見ていたい。

 

もしかすると、一度も泣かないでエイトを見る日、というのはないかもなと思うこともある。KAT-TUNでは田中聖が好きで、だからって推しというほどでもなかったのだけれど、それでも10Ks!に入ったとき、過去のPVにいる田中を見てどばっと涙が出てしまったことがあった。エイトでもどうしても渋谷すばるを思い出してこらえられない曲が多分ある。慣れたくても慣れることができない、たぶんそういう曲は、一人一人の中にあるだろう。