アイスキャンディ・マイラブ

札幌ドーム前に住んでるパンダの雑記

2020年河合くんの誕生日と橋本くんメモ

はしふみ担として色々てんこ盛りすぎた2020年の誕生日をメモとして残しておきたいというだけのエントリーです。コメント等はあえて「こういうことを言っていた」という概要にしてあります。今年の10月は例年以上にこゆい10月であった…

 

10/6(火)

初のはしふみラジオ。橋本、オフレコで「ふみちゃん」と呼んだ疑惑。

2週間後のふみ誕にラジオがあることを言いだし、「あの手紙の企画あるんじゃないかな、いや知らないけども!」と、二足早くふみ誕の話をする。

(誕生日動画撮影/馬チャレ誕生日祝いはこの日かも?)

 

10月中旬

Wink up取材に橋本「誕生日どうしようかな。このご時世だからケーキはやめて花束かな。個人的にお祝いはする。ヨガマットをプレゼントしたい」

 

誕生日数日前

橋本「もうすぐ自分の誕生日だからっておれの誕プレいまさら渡すの笑」

 

10/19(月)

こうかんにっき、橋本から河合へ。誕生日なので生クリームを箸で泡立ててほしいというパス。生クリームとスポンジはプレゼントしますとのこと。

CDTV生放送の前のコメントで、「あと2時間で誕生日だからって」と一人で誕生日の話を振る橋本。

 

10/20(火)

ポニキャ主催、サプライズ誕生日カード。橋本「いつも半目で寝てるね♡」

こうかんにっき、CDTVの現場で生クリームを受け取った河合、泡立てているうちに日付を超す。

今年もおめでとうメール一番乗りは橋本。

はしブロ「どこでお祝いされるかドキドキしちゃうかな? 個人的にはします」

夜公演アドリブ、「今日誕生日だからなにしても許されると思ってる」

夜公演、橋本のガイダンスで誕生日のお祝い。「リーダー河合くん」とひたすらあまあま好き好きのはっしー

公演後のラジオで橋本「おれ、ふみとの寝顔、めちゃくちゃ大っ好きだよ」

橋本からのプレゼントは馬のコルクがついたワイン。 

『日本文学の旅』元ネタの旅

橋本良亮さん(A.B.C-Z)・新納慎也さんが立たれている朗読劇『日本文学の旅』、劇中で紹介されている元ネタをわかる範囲で並べました。当方の不勉強で欠けている部分がございましたらぜひご指摘いただけると助かります。

舞台そのものは、知識がなくても意味より音を重視する作品だなと思っていますので、中身より「聞く」ことを意識されるほうがいいんじゃないかと。個人的に上古も近代も詩歌の知識がめちゃくちゃ弱かったのでそのメモです。

盛大なネタバレになると思いますので、ご自身の責任でご覧ください。

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「会いに行けるアイドル」小山慶一郎

2014年から2018年までの四年間、小山慶一郎は「会いに行けるアイドル」だった。

それが終わってしまったのは、小山くんがevery.を降板したからだ。今回の件については、言いたいことが山のようにあるのだけれど、それは脇に置いておく。人は思いたいようにしか出来事を解釈しないので。だから、これは私が「会いに行けるアイドル」だった小山くんに会いに行った、何回かの記憶で、それだけに過ぎない。ただ「会いに行けるアイドル」は最高だった。どうかこれを読んで、多くのオタクたちよ、あの時期小山慶一郎が至高の「会いに行けるアイドル」であったことを知ってほしいし、そして、自分にもこんな現場があったらと、羨望してほしいと思う。

 

2014年1月から、それまでnews every.の水曜レギュラーだけだった小山くんが、4時台創設に伴いメインキャスターとなった。そして「おかえり天気」というコーナーでは木原さん、そらジロー、鈴江アナ(のちに中島アナ)と一緒に外に出てきて、その日のお天気の様子を伝えてくれるようになった。

当時every.では4時台、一部の時間帯を日テレ汐留の2階にあるマイスタから放送していた。小山くんは毎回のように、報道フロアでトップニュースを読み、中盤に移動してマイスタでコーナーをこなしてから外にあるマイスタ広場に出てお天気、それからまたマイスタで4時台の終わりまでニュースを読んだ(水曜日は5時台以降の出演もあるため、駆け足で報道フロアに戻っていた)。

私たちが会いに行けたのは、マイスタに降りてきて、報道フロアに戻るまでの3、40分ほどの時間だ。しかしこれが、普通のアイドルにはない特異な時間帯だった。

アイドルというものは、基本的にコンサートでしか会えない。

日テレはそのころ、早朝ZIP!、昼前のPON!、そしてnews every.と各所でタレントを生で見られるコーナーを持っていた。PON!では基本的にはゲストだったが、やはり小山くんと同じNEWSの増田貴久くんはレギュラーを務めていた半年ほどのあいだ、毎週月曜に会えるアイドルだった。ZIP!も早朝だが、会えることもあるだろう。それが小山くんは、月火水木と4日間、会える。これはどう考えても本家会えるアイドルであるAKBよりも多い(AKBは日々出るメンバーが変わる)。日本で一番「会いに行けるアイドル」、それが小山慶一郎だった。しかもevery.へ見学に行くのは交通費を除いてタダだ。会ってファンサまでもらえるのに、タダなのだ。それなのに最大週4回も会える。コストパフォーマンスが最高にいいアイドルだった。

 

小山くんに会いに行けるらしいぞ、という噂を耳にしたのはいつ頃だったろうか。私が聞いたのは帯で番組に参加することがはじまって、しばらくしてからだが、はっきりと記憶にはない。しかし私も月金クジゴジで働く社会人なので4時の汐留というのはたいへんハードルが高く、それに行けたとしてもひとりというのも寂しいので足を運ぶまでではなかった。

友人の中で最初にエブった(every.へ小山くんに会いに行くことをわれわれは「エブる」と称していた)のは、NEWS担ではなくエイターのKである。村上担であるKは2015年の1月、ヒルナンデスの番協に当たって汐留にいた。で、そんなときにわたしが「それならevery.も見て行けんじゃん」とそそのかしたら、Kはその通り行ってくれた。しかも村上担として番協に参加していたKは、紫の服を着ていた。周りの人たちは、小山担だろうと察して見やすい位置に入れてくれたという。

そんな話を聞いてから、わたしもevery.に行きたい気持ちが高ぶり、その年NEWSにすっころんだばかりのGとともに、2015年3月18日、汐留にむかった。ちょうど、仕事の有休をとるべく設定されていた日だった。

 

3時くらいから場所取りをしたが、はじめてなのでどこから見ればいいのかよくわからない。それであまり人がいないところを選んで立った。スタッフの人たち、そらジロー、木原さんが出てきて、撮影の準備が進められていく。特にそらジローや木原さんはとても親しげに手を振り返してくれたりして、楽しかった。

出てきた小山くんは、さすが報道のお仕事中で、見学者にむかってクールに手を挙げるくらいだった。ところがお天気が終わり、マイスタでのニュースが終わってあとは上に戻っていくばかりというときだ。くるっと後ろをむいて、ニコッと笑い、われわれ見学者各所にむけて手を振ってくれた。そのとき、私とGは初心者だったがゆえにあまり人のいない場所に立っていた。本番が終わったあと、小山くんはとても華麗にターンをして、ピンポイントで私たちにむかってまず手を振ってくれて、それから数か所のファンにむかっても同じように手を振った。私たち二人のためにファンサをしてくれたのもすごいのだが、そこに見に来ている人たちがいると背後もきちっと把握していたことがすごい。そしてそのふりむいたときは、ニュースキャスターではなくアイドルで、とてもやんちゃでかわいい笑顔をしていた。

後でわかったのだが、その日、小山くんには密着のカメラがついていた。それでいつもよりテンションが高かったのかもしれない。every.の本放送と、われわれが肉眼で見たものと、密着が行われた映像と、三回おいしい2015年3月18日だった。

小山くんは、いつだって必ず最後に手を振るために顔を出してくれた。暑い季節には華麗にジャケットを脱ぐ様を披露してくれることもあった。シャツのカフスを外すのもおいしい。私は見たことがないが、ネクタイを抜いたりということもあったそうだ。オタクとして、拝むしかない光景だ。

 

every.の場所取りは、どこがいいのかは人それぞれだ。それに、放送のときのカメラのむきも日によってまちまちだったので、顔を見たいと思うと場所を変えねばならない(どうしても見えないときもある)。それに、マイスタ広場での近さを選ぶか、マイスタの中にいるときの姿も見える場所にするか、等々もかかわってくる。場所によっては生の声も聞こえてきた。少し遠いと、ワンセグで番組を見つつ本物の小山くんを見たりしていて、でも声が聞こえそうだと音は消した。

私とGは、はじめて行ったときのファンサが忘れられず、マイスタの正面あたりが定位置になった。お天気報道のときはガラス越しになってしまうが、人が少なめで、見やすい場所だ。マイスタの中もそれなりに見えたが、夏などはガラスが反射して見づらくなる。その一方、マイスタ広場でこちらに背をむけて立つ角度での撮影のときは、そのマイスタのガラスに姿が反射して、顔が見えるということもあった。間にあるゴールドクレストが伸びすぎて見えなくなったり、スタッフがマイスタのカーテンを閉めてしまったり、いろいろなことがあった。はじめて行った日は私たちのほかに人もいなかったあたりだが、そのうち小山くんの人気も出てきて、そこも人がいっぱいになっていったのを思い出す。

一番近いのは、マイスタにむかって左手で、小山くんがスタンバイしているときなど、本当に手が伸ばせるほどの近くになることもある場所だ。木原さんが放送後に見に来た人との写真を撮る場所でもある。そらジローは触らせてくれる(ふかふかしている)。一度、コンサート開始直前の木曜日にそのポジションに行ったことがある。きっと午前中もリハをしていただろう小山くんはご機嫌で、ご機嫌すぎて、みんなの目の前のスタンバイ場所でくるりとターンをしてしまった。しかもなぜか見に来ているわれわれのほうに顔を見せるようにターンしてしまった。かちあう視線。「あっ…」となるわれわれと、「あっ…」となる小山くん。そのあと恥ずかしそうに「ちぃっす」という感じで会釈してくれた。コンサートがいよいよ始まるというときにテンション高くつい踊ってしまう小山くんは、小山くんが「会いに行けるアイドル」だったからこそ見られたものだった。

エレベーターに関する楽しみもあるが、それは口をつぐんでおこうと思う。入ってはいけない場所に入ったことはもちろんないし、シースルーエレベーターを用意しているのは日テレではあるが、まあ、見る側も見られる側も少し気まずい場所である。一度、スカスカのエレベーターに乗った小山くんが、遠目だが見学に来ていた人たちに見られているのに気がついてしまい、超絶かっこいいポーズを保持したままかなり上のほうの報道フロアまで登っていったことがあって、ごめん…という気持ちになったことだけを記しておく。

 

月金の勤めとはいえ、私は休出がバカみたいに多い仕事なので、たまに平日が休みになることがある。平日の4時台なんてハードルが高いなって思っていたはずだったが、一度会いに行けるアイドルの快感を味わってしまったらもうハードルなどないも同然だった。チャンスがあれば即座に汐留に行くようになっていた。

しかしマイスタの出演は必ずあるものではなかった。重大ニュースがあって、ずっと小山くんが報道フロアにいることもよくあることだった。そんなときは、マイスタの人がよく立ちやすい場所に「本日、小山さんはマイスタおよびマイスタ広場での出演ありません」と紙を張ってくれたりした。

アルバム『QUARTETTO』の発売日、休みだったのでGとともに汐留にむかったのだが会えない日だった。そのあと汐留のタワレコでアルバムを買い、そのままカラオケ店でCDを流して結局NEWSな一日を送った。そういう一日の過ごし方も楽しかった。

 

特別なevery.は何度かあって、そのひとつが2016年12月15日だ。地方住みのCが別件で平日に東京に来るというので、少しスケジュールに無理をしてエブることになった。当初はそれだけの理由で予定を入れていたのだが、その日は手越祐也がCWCで電波ジャックする日と重なっていた。これまで、手越くんはevery.に出ても報道フロアでの出演のみだったので、マイスタに期待していなかったのだが、この日は初めて、手越くんがマイスタ広場までやってきた。以前、加藤シゲアキくんが本の宣伝で出たことはあってそれはテレビで見たのだが、メンバーの生出演を見られるというご褒美に震え上がった。ちなみにとても寒かった。手越くんがマイスタ広場に現れたとき、並んでいた見学の人たちがぐっと息を飲む音が気配が伝わってきた。放送が終わると、小山くんは手越くんにむかって拍手を送って、われわれも拍手をした。コヤテゴはそこで握手を交わし、手を振った手越くんが中へ。そして、小山くんも丁寧に頭を下げて、中へ入っていった。

この年は24時間テレビをNEWSが担当した年で、8月にも実は、このマイスタで事前番組の生放送があり、そのとき小山くんと手越くんが並んでいたのを見られてはいたのだが(もっとも、その際はマイスタ広場には出てこなかった)小山くんのevery.に出るというのは特別だった。あの日は、本当だったらエブらないはずの日だったので、いまでもCには「あの日行くと言ってくれてありがとう」としつこく言って、気味悪がられている。

 

ほかにもevery.の楽しみといえば小山くんのマネージャーである。コーナーが始まる直前になると、「撮影禁止」という札を持ったマネージャー氏が登場する。NEWSICALにも映っているマネージャー氏である。私には名前などはわからないが、行くたびに毎度顔を拝見するので変な親しみがわいてしまった。ちなみに、小山くんが日テレの入構証をくもジローのケースに入れていたのは知られているが、マネージャー氏は同じシリーズのそらジローを使っていた。マネージャー氏がそらジローをぶら下げているのを見ると、いつも「おそろいかあ…」とほっこりしたものだ。

 

私がはじめて行ったときからすると、小山くんに会いに来るファンはどんどんと増えていった。それを見ていて、いつまでもこの「会いに行けるアイドル」が続けられるわけではないなとも思っていた。その予感は的中して、2017年の3月29日に、翌週からコーナー変更が行われることが告知された。翌日が最後だった。ありがたいことに休みだったので、気合を入れて最後のマイスタ広場を見学しに行った。もちろんその日は、たくさんの人がいて、小山くんも最後だからみんなが来たことがわかってくれていたのか、いつもは出てきたときはクールで、終わってからだけアイドルだったのに、この日ばかりはまず笑顔でたくさん手を振ってくれた。

そのあともevery.ではマイスタを利用していたので、スタジオの中にいる姿だけだが、まだ小山くんを見ることはできた。見学に来る人たちはぐっと減ったが、それでも、行くと一人ではなかった。小山くんは、必ずわれわれにむかって手を振ってくれた。マイスタは、小山くんが元気でいる姿を見られる場所でいてくれたのだ。ときどきは、予告なくマイスタ広場や大屋根広場に登場した日もあった。さすがにそういうのに遭遇することはなかったけれど、私もGも、以降も気軽に汐留に遊びに行った。

 

いまでもときどき、平日が休みになると汐留に行きたくなることがある。私は汐留がとても好きだ。あそこにいたファンは常連が多かったようで、連帯感があった。「会いに行けるアイドル」に会いに行っていたのに、みんなとても節度を守っていた。たとえばPON!がジャニーズのゲストだったり、増田さんがレギュラーで出たりするときは、見学の人たちはうちわを持っていっていた。アイドルの現場なので、それはよいのだ。でもevery.で小山くんはキャスターだった。だれに言われたわけでもないのに、every.の見学ではだれもうちわやメッセージボードを出さなかったし、「小山くーん」という名前ですら、声かけもしなかった。手を振るというのが、だれに指示されたわけでもないわれわれの唯一のコミュニケーション手段だった。

その最たる瞬間が、先ほども語った手越くんが出てきた日のことだ。たぶんみんな、「キャーッ!」と叫びたかったのだと思う。けれど、every.はそういう場ではない、という意識が共有されていて、みんなぐっと息を飲んだ。小山くんが大切にしているevery.という場所を、われわれも大切にしていた。

every.は小山くんに会いにいけるとともに、とても良質な現場だった。正直あんな現場は二度とないのじゃないかと思っている。たった数年ではあったが、たぶんボケてもevery.は最高だっと私は言い続けるだろう。だからたくさんの人に、そういう現場があったのだと知ってほしいし、またどこかでだれかの、そういう現場があったら素敵だなと思っている。

私の愛した気まずい

その日、錦戸亮がわれわれにむかって「エイター!」と叫んだ。きみがエイターとゆったから、9月9日はエイター記念日。いままで、「すばるくんはようゆうけど俺は恥ずかしい」とエイターと呼んでくれなかった錦戸亮が、GR8ESTから「エイター」と口にするようになった。つまりそれは、そういうことなんだろう。渋谷すばるが言わなくなったかわりに、錦戸亮がわれわれをそう呼ぶ。彼の気まぐれではなくて、その後、台北でも聞くことができた。

わたしはす担だが、どんなすばるくんが一番好きかといえば、「錦戸亮の隣で歌う渋谷すばるが好き」というす担だ。二人が声を重ねる瞬間が一番好きだ。歌うすばるくんを見ている錦戸亮が好きだ。気まずいと呼ばれた二人が好きだった。

NEWSの現場を見たりすると、錦戸亮は二つのグループから一つを選んだのではなく、渋谷すばるの隣を選んだのではないかと思うことがある。渋谷すばるは、錦戸亮にとって運命だったから、その隣を選んだんじゃないかと。亮ちゃんはセンターになりたくなかったのではないかと私は考えていて、ゆえに渋谷すばるというセンターのいる関ジャニ∞がよかったのだとも思っている。もっともそのすばるくんが抜けて、錦戸亮関ジャニ∞でセンターになるというのは、本当に皮肉だ。

でも、その彼がすばるくんに「俺が背負っていくから」とメールをしたというのは、錦戸亮がみんなの中心に立って歩きだせるくらい、強い男になったのだと感じさせる。

 

メンバー脱退後のKAT-TUNやNEWSは、暴力的なまでに前へ奔ってゆくように見えていた。手越祐也は4人になってからほかの3人に「俺が斬り込み隊長になる」と宣言していて、それはまさに、彼らが強くなると決めたことの象徴だった。翻ってGR8ESTのエイトを見ると、彼らはこんなに弱かったのだな、すばるくんに依存していたのだなと思い知らされた。強がったり、わかりやすく感情を昂らせたり、泣いたり、いろいろなのだけれど、すばるくんは6人の本当に心の柔らかな部分まで食いこんでいた。錦戸亮は強くなったと書いたが、たぶんまだ、大部分が強がりだ。でも六人ともがなんとか強くなろうとしている。

 

このエントリーの目的は、渋谷すばる錦戸亮の運命だったんじゃないかということを書くことで、だからすごく頭の煮えたことを書くことになると思う。着地点もよくわかっていない。なぜならすばるくんは亮ちゃんの運命だったと言いたいだけだからだ。

脱退するという発表があって、最初に錦戸亮からの言葉があったのは「13歳だった僕を導いてくれた先輩」だった。それまでも私は、すばるくんは亮ちゃんの運命だと思っていたが、これほどはっきりと本人から運命だと語られたような言葉があるだろうか。共に過ごしたとか、追いかけたとかじゃなくて「導く」という言葉には、深い色合いがにじんでいないだろうか?

そこからはしばらく、スポットライトが当たっていたのは三馬鹿だったりして、気まずいを見たい私は少し歯がゆい思いをした。自分に思い入れのあるコンビだけを見たいというのもひどい話だし、三馬鹿の絆が特別だったことはわかっている。安田章大の怪我がなければもう少し全員揃っての露出もあったかもしれないが、こればかりは仕方がない。

Mステ、クロニクル、Mデイと終わりの時間が近づく中でも、気まずいはほとんど見られなかった。そして関ジャムだ。亮ちゃんは彼自身とすばるくんを「ジョンとポールのようとは言えないけれど」と、そうコメントした。ジョンとポール。正直に言うとビートルズのことはそんなに詳しくない。それでも亮ちゃんがその名に託したものが見えた。あのジョンとポールに、亮ちゃんは自分とすばるくんを例えた。なれなかったとは言ったけれど、その二人は亮とすばるより短い時間で傍を離れたんだから、超えてるといったっていいんじゃないか。だから私はもう一度言いたい。渋谷すばるは、錦戸亮にとっての運命だ。

その後のセッションで亮ちゃんはようやく泣いて、泣きながら最後の曲を終えた。「やっぱり寂しいなあ、なあ、すばるくん」と彼はすばるくんの隣で言ったけれど、すばるくんは大きな瞳に涙をためたまま、微動だにしなかった。言葉を交わしたり、錦戸亮を見たりしたらきっと彼は泣き崩れてしまうと思っていたのだろう。すばるくんが泣かなかったのは正しかったと思う。でも亮ちゃんは、すばるくんの涙を見たかったに違いない。

それまであまり別離への感情をあらわにしなかった亮ちゃんが、最後になって泣いて、そして収録を終えて帰宅してからも整理をつかない感情を前に煩悶したことを明かしてくれたのは、すごいことだと思っている。

これからの関ジャニを背負っていくというメールを最後の夜に送り、その内容はファンに秘密にしようとした亮ちゃんと、そのメールを最後のジャニウェブに書いたすばるくん。そういうのも、私が好きな気まずいそのものだった。亮ちゃんが、もっと踏みこんだ二人のことをメールに書いていれば、それは二人の間の秘密になっていったのかもしれないけれど、亮ちゃんはエイトのことを書いたので、だからこれからの未来の関ジャニ∞のためにすばるくんは我々に見せてくれたのだろう。きっと亮ちゃんは、「すばるくんが背負ってきたエイトをこれからは俺が背負う」と伝えようとした。でもその、二人きりの部分が見えなくて、あるいはすばるくんはあえて見なかったふりをして、だからこそ私たちはあの夜のメールを知ることが出来ている。すばるくんが関ジャニ∞を愛しているとわかったエピソードでもあった。

二人でご飯に行くことがずっとなかった、というのを二人のエピソードとして私たちは知っていて、おそらくそれは2017年の新年盤の特典から見た限りではまだ続いていた。けれどすばるくんを説得しようとしていた時期に、いろいろ話をした中で、亮ちゃんとすばるくんが二人きりで食事をしながら話をする、という一幕があったんじゃないかと夢想している。何年かずっとあとに、そんな話が聞けたらいい。

 

気まずい担である私にとって、エイトでの特別な曲は『キングオブ男』『LIFE~目の前の向こうへ~』『侍唄』だ。LIFEはエイトにとって思い入れのある曲だからもちろんだけれど、侍唄も二人がハモる部分があまりにも美しくて、本当に好きな楽曲だ。この中でいまだ6人エイトで歌われていないのが侍唄だから、いつか披露されたときにまたとてもしんどくなるのだろう。

『キングオブ男』で亮ちゃんとすばるくんが手を握り締めるところは楽曲のクライマックスでもあって、お兄ちゃんチームと弟チームの和解が成り立つ部分として音楽とダンスでも要の部分であり、そして気まずい担にとって最高のワンシーンなのだが、すばるくんがいなくなってなにより安否が気遣われたシーンでもある。だれが担当するのか。チーム分けされているので、村上信五横山裕であるべきだが、一人が独占するのもおかしいわけで、持ち回りとか、様々な憶測があったように思う。私は、すばるくんがいた時分から大倉忠義がやりたがっていたのを知っていて、「つっぱって」と歌われるときに彼がモニターを見ながら一人でつっぱっているという話も聞いていたので、それくらいしているのであれば大倉忠義にならその役割を譲渡してもいいのではないかとも思っていた(大倉くんが、実際のところすばるくんになって亮ちゃんと手を繋ぐことを想定していたのか、亮ちゃんになってすばるくんと手を繋ぐことを想定していたのかはわからないのだが)。それでどうなるのかなと固唾をのんで見守っていたら、錦戸亮が自分のパートのまま続けて歌った。泣かずにはいられなかった。

後日それを亮ちゃん自らが望んだと聞いて、また泣いた。

将棋崩しのように、彼が歌ったパートを六人が少しずつとってゆく。ここを歌いたいとか、ここなら歌えるとか、様々な理由で。たぶん亮ちゃんの中で、あのパートを手にすることだけは、最初から決めていたんじゃないだろうか。

東京で見た2回では、泣いてしまって錦戸亮がどんな面持ちで歌っていたのか、全然見届けられなかった。台湾でようやく、泣かずに見られた。錦戸亮は男前だった。

でも思う。すばるくんと手を繋ぐ瞬間ににやっと笑ってしまう錦戸亮が好きだった。すばるくんの歌のパートに入ってすぐに自分の手や彼の手を見つめてにやにや笑ってしまう亮ちゃん、ひっぱりすぎてすばるくんとぶつかりそうになってしまい、慌てるすばるくんの手をぎゅっとつかんで離さない亮ちゃん、あの15秒間に及ぶ私の大好きな気まずいは、永遠に失われてしまったのだ。亮ちゃんはニヤけず、男前に歌う。

 

自担がいなかったにもかかわらず台北にまで行った私ではあるが、単純に関ジャニ∞の初の海外公演楽しかったよ! という他に台北に行ってよかったなと思ったことがある。実は東京のGR8ESTに入っただけでは、6人の関ジャニ∞を実感しきれていなかった。それはたとえば、大倉忠義が腸閉塞で不在だった元気コンオーラスみたいなもので、どこかにまだ7人の関ジャニ∞があるような気がしてしまった。

でも台北を経て、もう6人なんだなと私は実感ができた。たぶんそれは、海外公演とか台北アリーナとかいうものがすばるくんの見たことのない景色だったからで、日本にあったドームでの公演とはわけが違う。いまはもう、関ジャニ∞は6人なのだなと、実感している。

わたしは十祭に入れなかったので、気まずいのユニットを自分の目で見ることができなかった。それだけがずっと心残りだ。すばるくんのソロコンには入れたし、ジャニズム福岡で、ハケるときに亮ちゃんが隣のすばるくんに抱きつくという前代未聞の場面も見ることができていたから、あんまり贅沢は言わないけれど、二人のユニットは見たかった。それは本当のところはkichuでも足りないことで、二人が二人だけで作る音楽を聞きたかった。それだけが心残りだ。

なんにせよ二人はジョンとポールだ。気まずいとかすばりょとかいうコンビ名もよかったけれど、最後の最後に私の好きだった二人は「ジョンとポール」なのだと名前をもらったことが、すごく嬉しい。ビートルズには詳しくないが、ジョンとポールの出会いが運命だったことを否定する人はあまりいないだろう。亮ちゃんとすばるくんも、運命だった。私の好きなコンビは、ジョンとポールだ。

AFTER THE GR8EST(記録:東京9/7、9/9)

6人ツアーの開始からおおよそ2か月、ようやく東京2日目、4日目とGR8ESTに入り、やっぱりとても楽しかった。何度も泣いたけど1回目よりは2回目は泣かなかったし、いつまで泣くかわからないんだけれど、少しずつ減っていくのだと思う。

ただちらっと、そうやってすばるくんを忘れていくことを悲しいと思う部分もあって、すばるくんの不在に慣れていきたくない気持ちもある。このまま行くのをやめれば、慣れないで済むかなと。でもそんな気持ちよりずっと、関ジャニ∞のライブはサイコーに楽しいんだよね。

慣れていくのは我々だけでなくエイトも同じで、東京2日目、MCではすばるくんのことをほぼ触れなかったし、たまに大倉がつらそうな顔を見せてくれるくらいだった。その日は10公演め(ただし大阪の中止があったので本当は9公演め)で、それだけやれば6人のステージにも慣れるはずだ。

4人になってからのNEWSを見ていると、音源では6人や8人時代の曲なのに、ライブで聞いた4人の歌割でしか記憶していないものが多々ある。そうなっていくのがわかっている分、すばるくんが消えていくことが見えているので、やっぱりそれはつらい。すばるくんの声で歌われるから好きなパートというのがやっぱりある。NEWSは次々と4人バージョンの曲を発表しつつあって、音源でも上書きが行われている。9人時代から追いかけている友人は切ない顔をするけれど、4人になってからファンになった身としては、4人音源が手に入るのは嬉しいのだ。何年先かは知らないけれど、エイトも音源を上書きしていくこともあるだろうなと、思っている。関ジャニ∞として今を生きる彼らには必要なことだから、悲しいけど仕方ない。仕方ないけど、悲しい。

私の頭になかには2つのバージョンの『応答セヨ』が流れている。ひとつはすばるくんが「僕はスターライダー」と歌う『応答セヨ』、もう一つは亮ちゃんが歌うもの。すばるくんが生で歌う『応答セヨ』を聞くことがなかったので、もう上書きされかかっている。そういう意味では、すばるくんが歌わなかった『応答セヨ』ではじめて、すばるくんがいなくなってから発表した『ここに』で終わるGR8ESTは、とても完璧だ。

 

もうエイトはすばるくんのことは今更振り返らないのかなと思っていたのだが、東京4日目はその二日前とちょっと様子が違った。大倉が泣きそうになっていたのが早かったし、それにつられていたのか横も表情が固く、重たい空気をまとっていた。亮ちゃんは挨拶ですばるくんの不在に触れて、「これが現実なんで、僕らこれでもう何回もやってきたから」と強がるように言った。信五さんが酸欠で倒れたのも、最後のあいさつでおかしな笑い方をしていたのを引きずったのだろうけれど、それを見ていたわれわれは、彼が泣くんじゃないかと思った。こういうものだからとうそぶき、慣れていっているのは確かだろうけれども、とはいえまだ浮き沈みはエイトの中にあるのだろう。

同行者と私自身のスケジュールもあって、早い段階の公演には行けなかった。でも、札幌公演に入ったらそれこそ、もう立ち直れなくなっていたかなと思ってもいる。

エイトは話し合いを尽くして記者会見に臨み、わずかに泣いていたけれど取り乱さなかった。だからこそ心の隅では、彼らが話す「めちゃくちゃ止めた」というその姿こそ見たかったような気もするけれど、それを見せないでくれたことも、すごく感謝している。

 

GR8ESTに入る前、少しだけ「始まるんじゃない始めるんだぜ」という歌詞を受け止めきれずにいた。エイトが前に向かって進んでくれるのは嬉しいのだけれど、この曲を生で聞いてしまったら6人のエイトが始まってしまう、つまり、7人のエイトが終わってしまうのだなと思っていた。もちろんもうツアー初日の7月15日から始まって終わっていたのだけれど、「自分にとって」はまた違うので。

でも入って、6人の姿を見たら気持ちはがらりと変わった。「また逢えたら歌おう、リズム刻んで踊ろう/また逢う日を歌おう いまを刻んで行こう」という歌詞は、始まりの始まりなんだと信じられた。いつか一緒になにかしてほしいなんて思っていないけれど、それぞれが求めるものを手に入れてほしいし、それまでずっと関ジャニ∞を見ていたい。

 

もしかすると、一度も泣かないでエイトを見る日、というのはないかもなと思うこともある。KAT-TUNでは田中聖が好きで、だからって推しというほどでもなかったのだけれど、それでも10Ks!に入ったとき、過去のPVにいる田中を見てどばっと涙が出てしまったことがあった。エイトでもどうしても渋谷すばるを思い出してこらえられない曲が多分ある。慣れたくても慣れることができない、たぶんそういう曲は、一人一人の中にあるだろう。

渋谷すばるのこと

もうすぐ渋谷すばるが最後に出演した関ジャムから二か月が経つ。ようやく、私も東京二日目でGR8ESTに入ることとなる。そこで目にするのは、6人の関ジャニ∞だ。入る前に、す担として気持ちをまとめておきたくて、書いておく。

 

はじめて関ジャニ∞を見たのは忘れもしない2013年12月15日、私の生まれてはじめての「ジャニコン」だった。映画のエイトレンジャーは見に行く、くらいの距離感であった私を誘ってくれたのはエイトにはまったばかりの友人のKで、札幌のチケットが取れたと言われてホイホイと同行した。前乗りしようとした飛行機は大雪で数時間遅れ、20時には札幌で夕飯を食べているはずだった私たちは、23時にコンビニで買ったホッケの魚肉ソーセージをかかえようやくホテルについた。翌朝、マイナス3度の中を1時間並んでグッズを買った。Kはなんとビギナーズラックでアリーナ席を当てていたので、アリーナ席なら礼儀としてうちわくらい持たねばと、その日私が買ったのは全員のクリアファイル、ペンライト、そして渋谷すばるのうちわだった。

入ってみると、Kが当てたアリーナ席というのはバクステ間近、そしてムビステの真下だった。メンステまでは非常に遠いが、しかしその日、ムビステが動き出したときに鳥肌が立った感覚は忘れられない。こっちにくる、しかも全然歩いてないのにこっちにくる。やがて我々の真上をエイトが通過していった。わたしは口を開けたまま、ムビステと一緒に身体をのけぞらせた。そのとき真下をのぞきこんだ渋谷は、うちわをかかえ、驚愕した表情の私(達周辺の観客)を眺めながら挑発的にべろりと舌で唇を舐めた。「アーーーーーーーーーー!」という言葉にならない叫びが私の唇からこぼれ、隣のKにしがみついた。Kも悲鳴を上げていた。バクステ近くだったのがよかったのだろう、ムビステの高度は低く、至近距離から見上げて「アイドルが履くズボンも股間に縫い目がある…」と思った。その衝撃はすさまじいものだった。その一回のコンサートで渋谷すばるに落ちた。恵まれた席だったので規制退場で退出したのは最後の最後だったが、まわりの席の人たちもみんな「仕方ないわよね~いい思いしたもん」とばかりににこにこしていた。福住の駅に入るのに雪の中一時間以上並んだが、少しも苦痛に思わなかった。あの日のあの席で見た景色を、いまも鮮明に覚えている。Kと鳥貴族で飲んでは、斜め上を指さして「あそこに…」と思い出を語り合った。

 

今年の4月、私は出張で二週間海外に輸出されていた。出発直前、すっぱ抜きの芸能記事が出たわけだが、いやいやまさかという気持ちと、これがガセなら芸能記者ポンコツすぎだろうという相反する気持ちを抱えたまま飛行機に乗りこんだ。長い時間をかけて現地に到着すると、翌朝、重大発表的なことがあるというFCメールが届いているとKから報せがあった。もはや翌朝を待たずとも事態は明らかだった。受け止めきれなかったが、私は時差ボケになっていたし時差が16時間もあったし仕事をしなければいけなかった。現地の土曜夜、目一杯働いてホテルの自室に入るともうすべてが終わっていた。FCで発表があり、会見がすんでいた。ネットの記事は漁ったが、いまだに会見の映像は見られていない。そろそろ見ないといけないなと、迫ってくるドーム公演の準備をしながら考えている。

 

大人になってからジャニーズにはまった。それまで、アイドルというよりも、日本のエンタメにまったく興味がなかったからか、はまってから私が一番考えているのは「アイドルとはなにか」という命題だ。アイドルっていったい、なんなのか。彼らは当たり前に日々仕事をして、称賛され叩かれているわけだが、これが本当に、ずっと見ていなかった人間にはなんなのかよくわからないのだ。

私がまともにアイドルを見たのは二宮和也が主演していた『大奥』が最初で、彼がクリント・イーストウッドに抜擢されたことも知らず「二宮和也ってやるじゃんジャニーズなのに」と思ったものだった。はまる前の私にとって、ジャニーズのアイドルというのは、なにがしかのプロフェッショナルではない、というイメージだったのだろう。歌がうまくなくても歌手になれるし、ダンスがうまくなくても踊れるし、演技がうまくなくてもドラマや舞台に出る。もちろん、中にはそれぞれを得意とする人間がいるのだけれど、かといって得意な人間だけがそれをするわけではない。

いまだに、アイドルとはなんなのか考えると、不思議なものに思えて仕方がない。

見ている側よりも、アイドル自身が語る「アイドルとは」という言説のほうが頼りになるような気がして、そういう発言を聞くと記憶するようにしている。たとえば、加藤シゲアキは「アイドルとはアスリートである」と言っている。私がいまのところ最も腑に落ちているのは、横山裕の言った言葉だ。「アイドルはなんでもできる。だから俺は、この事務所やねん」

なんでもできる。確かにそうだ。そしてなにより渋谷とともに関ジャニ∞のメンバーである横山が言っているからこそ、この言葉を裏返したとき、今回の渋谷のふるまいがわかる。渋谷はなんでもできる場所だからこそここを去る。歌手業に専念する、というのはそういう意味なのだろう。

 

アイドルの寿命をこれでもかと引き延ばしたのはSMAPだった。その限界がいまのところ平均して40代前半というところだろうか。子供のころ、知らない間に光GENJIとか忍者とか男闘呼組がなくなっていたのがジャニーズの印象だったから、その時代と比べるとものすごく長生きだ。伸びたのは、たとえば森且行の脱退のときのように、ひとりの脱落でグループを瓦解させないようにしたからだろう。それでも限界はあったということだろう。

アイドルとはなにか。その問いの答えによってその人その人のアイドルとしての寿命も違う。渋谷は35歳からこの先の身の振り方を考えるようになったと言っていた。先にKAT-TUNを抜けた田口は、30歳を自身の節目として辞めていった。あるいは岡田准一櫻井翔も、デビュー当初は30歳になるころには辞めているものだろうと思っていたと話している。アイドルとは青年の仕事であって、おじさんになってからはやるものではない、という思いが、本人たちにもあったのだろう。

その壁を乗り越えていったのがSMAPで、彼らは男性アイドルのロールモデルだった。しかしそれもいまはない。アイドルの限界はまだ伸びるのか、V6あたりを見ながら考えている。もちろん最年長の坂本昌行は、ダンスがめちゃくちゃ切れてるしかっこいい。

 

渋谷すばるの歌が好きだった。いくつものジャニコンに行くが、もともとバンギャだった私にとって、一番心地いいのが関ジャニ∞だった。それを支えているのが渋谷の歌だ。はじめて行ったJUKE BOXではムビステにおののいただけだったが、翌年の関ジャニズムで、終わったあと声を上げて泣いた。汗みたいな涙で、泣き終えてスッキリした。デトックスとでもいうのだろうか。こういうのは私だけなのだろうかと思っていたが、渋谷のソロコンに行って『宇宙に行ったライオン』で泣いていたら、周りからもすすり泣く声がたくさん聞こえてきて、ああす担というものはみんな泣くのだなあと思った。たぶん、渋谷すばるは唯一無二だった。これからのエイトは同じようにはいかない。でもきっと楽しい。私が愛した関ジャニ∞とは違うものだし、私はあんな風に泣くことはもうないかもしれないのだが、それでもやはり、楽しい。

 

味園ユニバース』にかかわるなにがしかは今回の決断に影響しただろうか。そんな単純なものではないかもしれないが、そういう気もしている。

5月、海外出張から帰ってきて私は一人、大阪へ行った。劇中で「サウンドスタジオSATO」だった家や、味園ユニバースなど、映画の撮影地を巡った。もうなくなった場所もいくつかあって、時間の流れを感じた。最後に、物語が始まる浪速公園にタコヤキを片手に足を運んだ。記憶喪失のポチが現れて、いきなり『古い日記』を歌う、あのシーンのロケ地だ。GWの昼下がりで、近所のおっさんたちが何人も、ベンチで裸になって日光浴をしていた。私はステージに座り、エイトの曲を聴きながらタコヤキを食べた。やがて『宇宙に行ったライオン』が流れてくると、声を上げて泣いていた。それはソロコンで聞いたときに流した涙とは決定的に違った。「サーカス団のテントの隅 ライオンが 百獣の王の 檻を壊した/調教師、ピエロから逃げ ライオンは 世界を見たいと 草原を走り出した」そう渋谷が歌い、メンバーが「遠くへ遠くへ」とコーラスする。離れることを選んだ渋谷を後押しして会見に並んだメンバーたちの姿と重なった。

味園ユニバース』のプロモーションで、渋谷が炎上したことを覚えている人もいるだろう。そもそも一人で映画に出ることが決まり自担に対して一番心配していたのは、村上信五横山裕がいない場所でまともにしゃべれるのか、ということだった。案の定派手なプロモーションは少なく、公開日当日、ズムサタに二階堂ふみと出るのが唯一といってもいいくらいだった。その生放送中、渋谷は緊張しており、不愛想だった。生放送で見ながら、やっぱりヒナとヨコが必要だよ、と思っていたが、最後の最後に、渋谷は「がおー!」とリアクションをして、その渋谷らしさに「すばるくんがんばった!」と私はほっとした。ところがいつもの渋谷を知らない人たちにとっては格好のネタだった。「アイドルのくせに不愛想なんて許せん」と渋谷は炎上した。普段、笑顔を浮かべるアイドルを「へらへらして顔だけ」と非難する人たちがこぞって、彼らの思うアイドルらしいそぶりを見せなかった渋谷を攻撃したのだ。アイドルなら不特定多数の皆様に媚を売れと平気で言う人間たちのために、渋谷すばる渋谷すばるらしくいられないことが心の底から腹立たしかった。あまりにも理不尽だったが、渋谷は謝罪文を出し、その後の映画のイベントでは「笑顔」を見せた。ビリケンの置物のような笑顔で、彼を非難した人たちに慇懃無礼を尽くしたようだった。

渋谷にとって『味園ユニバース』がきっかけになったとしても、作品を通した歌とのむきあいかたより、あの炎上だったのかもしれないと思ったりもする。つまりアイドルとはなにか、という疑問が、あの炎上で渋谷にとって無視できないものになったのではないかと。

味園ユニバース』を見て、渋谷すばるは事務所がとても大切にしているタレントなのだと思った。企画は渋谷の歌を生かし、役の素性はムショ出のチンピラという、ジャニーズらしくないものだったが、その甘さの欠落した役柄は渋谷に合っていた。海外で映画賞を取って、国内でもいくつもの新人賞に名前を挙げられるほど成功し、他のアイドルからしたらうらやましいくらいの企画だった。その映画が、渋谷の決断に繋がったかと思うと皮肉ではある。

 

これから私にとって関ジャニ∞はどんなものになるのか、まだGR8ESTに入っていないからわからない。メンバーが散らばったとき、遠くの自担より近くのメンバーを見るというポリシーではあるが、まったく自担がいないコンサートで自分がなにを見るのか、まだイメージがわかない。だれかの担当になるのか、箱推しだけになるのか、はたまたエイトコンに足を運ばなくなるのか、そういうのもよくわからない。

でもいつだって、関ジャニ∞のコンサートは楽しかったことを私は知っている。

 

渋谷すばるというアイドルをきちんと認識した最初の記憶は、2012年末のカウントダウンコンサートだ。事前収録のVTRの中で、渋谷はカメラから敢えて視線を外して、村上のしゃべりにうなずいていた。わたしはその姿を渋谷らしいと、そう記憶に残している。そしてその渋谷らしさの行く末が、今日の彼らの姿だ。

『ジュリエット通り』を見て

『ジュリエット通り』 2014年10月12日13:00開演 於シアターコクーン
 作演 岩松了 主演 安田章大大政絢


※数年前の舞台感想をおいておきます

 ジャニーズが出ている舞台は初見と言ってもいい。はるか昔に佐藤アツヒロの『犬夜叉』を見たが、ジャニーズにはまってからははじめてだ。とはいえそもそも、いわゆるグローブ座で展開される〈ジャニ舞台〉と世間から色目で呼ばれるラインナップではないのだろう。コクーンらしい濃厚なストレートプレイである。登場人物たちが自分の頭の中身をぶちまけるような話劇が圧巻だ。しかし各人の言葉はあくまでも話者の主観からの言葉であって、なにが真実なのかは劇中でははたして明らかにならない。当然話者は嘘をつくし、また推測するし、あるいは妄想するからだ。

 さて、公式サイトにあらすじは載っているが、ここは敢えて物語を追っていこうと思う。舞台のふれこみは「現代版ロミオとジュリエット」である。ロミオ=田崎太一は大学を卒業したものの、仕事にもつかずぶらぶらとしているだけの青年である。父親の口利きで就職の面接には行くが、自分で台無しにしてしまい、「親が残した金でのうのうと暮らしている親父が嫌いだ」と言いながら、本人もまた、同じように親の金に甘えた状況にいる。
 この田崎の家は「ジュリエット通り」と呼ばれる場所にあり、むかいには〈枯淡館〉という娼館が建っていた。このあたりの地主が田崎で、枯淡館も田崎の土地に立っている。太一の父親・田崎昭一郎は、枯淡館の客ではあるがオーナーのような立場でもあって、さらには彼のいまの妻は、以前枯淡館で働いていたスズであり、田崎家は枯淡館と切っても切れない関係にあった。
 ミリタリーウェアに身を包み徒党を組む青年たち、通りになぜか充満している消毒薬の匂い、と、どうにも陰気な展開を予想させるモチーフが随所に登場してくる。議員の上田、八重島といった有力者を客に持つ枯淡館はあぶなげないはずだったが、とつぜん風営法違反だと役所から指摘され、経営の危機も迫る。こうして、物語はなにもかもが没落へと傾いているのが見てとれるのだ。
 さて、物語の軸となるのは過去にあった一つの事件である。枯淡館の若い娼婦・スイレンが、店の金庫から金を盗んだ。スイレンには病弱な夫がいて、お金が必要だったのだという。盗んだ金は、昭一郎が補填していた。スイレンは田崎に恩を返すため、居づらいながらも枯淡館で働き続ける。
 しかし、昭一郎の愛人でもあるスイレンは、屋敷で会った太一に「盗んでいない」と言う。原作『ロミオとジュリエット』を顧みるのであれば、このスイレンがジュリエットにあたる。ロミオ=太一との叶わぬ恋に身を焦がすはずのジュリエットは、しかし、作中で最も奇怪な存在である。金は盗んでいない。そもそも彼女は夫がいたこともないという。では、スイレンの立場を悪くさせている「金を盗んだ」という事件は、いったいなんなのか。
 スイレンは終始否定形で語られる。金は盗んでいない(あるいは、金は必要ではない)。夫はいない。枯淡館の娼婦であるが、別の娼館との合併話が来たとき、スイレンは実は昭一郎の愛人だから、と断る。一見彼女が「昭一郎の愛人である」と説明しているように見えるが、しかし、いつどうやって彼女が昭一郎の愛人となったのかは説明されず、ではスイレンが何者なのか、ということはわからないままだ。つまり「スイレンは、娼婦ではない」ことを語るためにスイレンは昭一郎の愛人だと説明しているのである。スイレンという名前も、源氏名である。スイレンは自分自身で、自分の中にはなにもない、だから決めてほしいと口にする。見ていて、記憶喪失なのではないかと疑うほど、彼女には定義がない。彼女は物語の核心にいながら、存在感がなく、生気すらない。
 太一は父の後妻であるスズとそれなりにうまくやっている。そして、昭一郎の愛人であるスイレンとも、それなりにうまくやっている。彼女らと話をしながら、太一は父親への鬱屈した感情とむきあうのである。
 さて、田崎家の物語とは別に、枯淡館の没落はいよいよ迫ってくる。後ろ盾になってくれるはずだった八重島が逮捕され、別の娼館との合併を余儀なくされる。これは結局、田崎の土地にあるものすべてを奪うための上田議員の策略であった。娼婦の中にも上田に加担した女がいたし、右翼風のミリタリー青年たちもまた、上田の手伝いをしていたのだった。
 昭一郎が逮捕される前にと身の周りを整理しているその中、田崎家ではいつわりの晩餐が開かれる。昭一郎、その愛人スイレン、後妻スズ、そして前妻の子太一、といういびつな家族もどきで食べるのは、素朴なカレーである。しかしこのシーンが奇妙なのは、食卓にはカレーが並ばないところだ。四人は昭一郎のごっこ遊びにつきあい、なにもない食卓でカレーを食べる(振りをする)。田崎家の最後の晩餐である。この後、スズは家を出てゆき、昭一郎は昭一郎で、スイレンを連れて別荘にゆく予定になっていた。
 閉鎖する枯淡館、そして離散する田崎家。出てゆくスズと会話した太一は、昭一郎はスイレンと無理心中をはかるために別荘にゆくのではないかという妄想に取りつかれる。太一は家に飛び帰るが、明け方出発するはずの昭一郎の姿はすでにない。そして枯淡館のバルコニーには、ドレスを着たスイレンの姿があった。枯淡館には鍵がかけられていて、太一は壁をよじ登ってスイレンの隣に立つ。スイレンは札束を手にして「盗んだ金を返す」と口にするが、観客も太一もこの時点で、本当に金を盗んだのはスズで、スイレンはその濡れ衣を着せられていることを知っている。ではスイレンはなんのための金を持っているのか。そして、その金はどこから現れたのか。スイレンは昭一郎とともに出発するはずではなかったのか。本当にスイレンはそこにいるのか。言い争ううちに二人の手から札束がこぼれ、地面に舞う。太一はバルコニーを降り、金を掻き集めようとするが、見あげるともうスイレンは消えているのだった。

 これは悲劇だろうか、あるいは、これは悲恋の物語だろうか。
 物語の中には、スイレン=ジュリエットと太一=ロミオの恋は存在していない。公式サイトのあらすじを見てもらえばわかるが、この『ジュリエット通り』は若い恋人たちの物語というそもそもの形式をどこかの時点で放擲してしまっている。これはたったひとり、ロミオの物語である。物語から恋が消失した結果、その恋の象徴たるジュリエット=スイレンは、前に述べたとおり、だれでもない者にならざるを得ない。かりそめに与えられていた「田崎昭一郎のめかけ・スイレン」という立場も、スイレンは金を返すことで返上しようとし、否定形でしか語られないスイレンは、何者でもなくなる。そしてこの文脈に沿えば、「スイレンはジュリエットではない」のである。
 最後の場面で、バルコニーに立つスイレンはもはやこの世のものとは思えない。太一は彼女が哀れになってとうとう「この金で君を買う」と言うが、それは恋情からではなく、太一自身は劇中で一度もスイレンの肉体を求めていない。太一が触れたスイレンの手は冷たく、彼女の姿は消えてしまう。太一が直観したようにバルコニーのスイレンはすでに昭一郎との心中を果たした亡霊なのか、すべてが太一の妄想だったのかも、わからない。

 劇中で語られる二つの物語が、失われたラブ・ストーリーとしての『ジュリエット通り』の片鱗を残している。一つは過去にあったことだと語られる枯淡館の娼婦についての逸話で、客に恋をした娼婦が男に金を渡し、自分を買ってもらうというものだ。枯淡館のむかいに田崎邸がまだ建っておらず、工場があった頃の話だという。太一はこの物語にひどく固執し、おそらく当時を知っているだろう年配の娼婦にまで掴みかかって話を聞こうとする。
 もうひとつは劇中でも創作の物語で、枯淡館の客である八重島主催のクルーズパーティで上演しよう、とスズが持ちこむ台本である。王様のめかけと小姓が禁じられた恋をして、挙句、王によって小姓の一物が切り落とされる、というなんとも言えないスプラッタな物語だ。めかけと小姓には、王様が気にいっているという証の歯形が腕に刻まれており、その証が却って二人を惹きつけ、王様を裏切るという筋立てである。この歯型というのはスイレンが昭一郎に刻まれている傷でもあって、スズのシナリオは現実とリンクしており、そしてそれ以上に、『ジュリエット通り』の原ストーリーにリンクしているように見える。原ストーリーではスイレンと太一を恋人同士に仕立て上げたのが昭一郎であるように読めるが、本舞台でスイレンに窃盗の罪をかぶせたのがスズであるように、原ストーリーでも黒幕はスズだったのかもしれない。スズがスイレンの腕に刻まれた歯形を知っている描写は劇中にない。しかしスズにも歯形が刻まれているから、当然のようにスイレンにも刻まれているに違いないと思ってもおかしくないし、だから息子の太一にはない歯形も、あると思ったのかもしれない。
 スイレンは存在が奇妙なヒロインだが、スズは行動が奇妙なヒロインである。スイレンに濡れ衣を着せた行動は一見夫の愛人に対する嫉妬に見えるが、後半、上田の息のかかった娼婦サクラが支配力を発揮する空き地にも現われることを思うと、彼女も上田に同調していた可能性は高い。その原動力はもちろん嫉妬だろうが、彼女の気持ちはスイレンに対してむかったのではなく、昭一郎にむかったものだ。
 こう見てくると舞台の主軸は昭一郎であって、太一はそんな不安定な環境の中でハムレットよろしく「生きるべきか死ぬべきか」と懊悩しているにすぎず、物語の大きなうねりに一切関係していない。しかしその太一の懊悩があるからこそ、登場人物たちの、はっきりと言えば昭一郎の真意というものが暴かれてゆく。太一はもうひとりの昭一郎だ。スズをスイレンと並んでヒロインと呼ぶのは、結局のところ昭一郎と太一の存在的区別というのがあやふやだからで、それはオープニングとエンディングに現われている。
 冒頭、帰宅した昭一郎は「道端で虫を見ている子供を見たが、少し目を離した隙に消えてしまった」と言う。エンディングではバルコニーからまき散らされた札束を、太一が掻き集めるでもなくはいつくばって「アリがいる」と言い、その傍らを、怪訝な顔をした昭一郎が通り過ぎるという、ループ構造になっているのである。作演の岩松によればモンタギュー家とキャピュレット家のあいだの対立を、家庭と娼館という俗と性との対立構造に変えたものであるという。であるならば、ジュリエットのバルコニーを覗くロミオは、自宅と枯淡館を行き来する昭一郎以外にあり得ない。別荘でスイレンとともに心中するのも、だから昭一郎なのだ。
 劇中には大きく男と女の対立というものも散見され、買われていいように利用される娼婦たちに対して、「そうさせられている」と昭一郎も上田も口にするのである。『ジュリエット通り』が恋愛を描いたものであるとすればそれはロミオとジュリエットのあいだだけに芽生えた恋愛の物語ではない。ありとあらゆる男と女のあいだに生じうる、もっと抽象的な恋愛の物語である。そして『ロミオとジュリエット』が悲恋の物語であるというのであれば、ありとあらゆる恋愛は悲劇なのである。
 太一は昭一郎から失われた青春そのものである。悩まぬ昭一郎のかわりに太一は苦しみ、スイレンを理解しようとし、そして助け出そうとする。彼はスイレンを愛していない。だがこれは恋愛の物語である。太一は自分しか愛していないが、若かりし恋というのはいつだって自己愛の延長のようなものだろう。

 

 劇中の見せ場といえば、太一がバルコニーに登ってゆく姿だろう。『ロミオとジュリエット』においてバルコニーでの秘密の逢瀬は一番の名シーンだろうが、『ジュリエット通り』クライマックスでようやく登場したこの場面で、太一はすさまじい勢いとともに、自らの腕力だけでよじ登ってゆく。思い返せば、いままで見た『ロミオとジュリエット』ではロミオはするするとバルコニーに到達して、息も切らしていなかった。枯淡館の鍵が閉まっていたため、太一は仕方なく壁を登るのだが、バルコニーまでの数メートルを、太一はほとんど腕の力だけでよじ登ってゆく。安田が筋肉を誇るタイプであったのは承知していたが、シャツ越しにも筋肉の緊張が見えてくるような必死さが、のらりくらりと日々を過ごしていた太一の変化をまざまざと見せる。会場中が唐突なその荒々しいさまに目を奪われているうちに、太一は息を切らしながらもあっというまにバルコニーに辿りついていた。太一の抱える熱量と、スイレンの手の冷たさは、対照的だ。
 セリフで空間を埋めるような会話劇の中で、太一の鬱屈したキャラクターにはアイドルらしさ、というよりも安田らしさはあまり見られない。ただこのよじ登るシーンでのみ、シャツの下に隠されていた太一の生々しい肉体を、観客は発見する。もちろんそのために鍛え上げたわけではなく、わたしなども「ああ、この青年は安田章大だったのだ」と思い出したのだが、決して仮面がはがれおちたわけではない。そこで爆発するエネルギーは実に若者らしく、しかし燃え尽きた太一が退行するほどの勢いだ。本家『ロミオとジュリエット』でも見せ場であるこのバルコニーを、まったく異質ながらも『ジュリエット通り』も見事な見せ場としたように思う。