アイスキャンディ・マイラブ

札幌ドーム前に住んでるパンダの雑記

「会いに行けるアイドル」小山慶一郎

2014年から2018年までの四年間、小山慶一郎は「会いに行けるアイドル」だった。

それが終わってしまったのは、小山くんがevery.を降板したからだ。今回の件については、言いたいことが山のようにあるのだけれど、それは脇に置いておく。人は思いたいようにしか出来事を解釈しないので。だから、これは私が「会いに行けるアイドル」だった小山くんに会いに行った、何回かの記憶で、それだけに過ぎない。ただ「会いに行けるアイドル」は最高だった。どうかこれを読んで、多くのオタクたちよ、あの時期小山慶一郎が至高の「会いに行けるアイドル」であったことを知ってほしいし、そして、自分にもこんな現場があったらと、羨望してほしいと思う。

 

2014年1月から、それまでnews every.の水曜レギュラーだけだった小山くんが、4時台創設に伴いメインキャスターとなった。そして「おかえり天気」というコーナーでは木原さん、そらジロー、鈴江アナ(のちに中島アナ)と一緒に外に出てきて、その日のお天気の様子を伝えてくれるようになった。

当時every.では4時台、一部の時間帯を日テレ汐留の2階にあるマイスタから放送していた。小山くんは毎回のように、報道フロアでトップニュースを読み、中盤に移動してマイスタでコーナーをこなしてから外にあるマイスタ広場に出てお天気、それからまたマイスタで4時台の終わりまでニュースを読んだ(水曜日は5時台以降の出演もあるため、駆け足で報道フロアに戻っていた)。

私たちが会いに行けたのは、マイスタに降りてきて、報道フロアに戻るまでの3、40分ほどの時間だ。しかしこれが、普通のアイドルにはない特異な時間帯だった。

アイドルというものは、基本的にコンサートでしか会えない。

日テレはそのころ、早朝ZIP!、昼前のPON!、そしてnews every.と各所でタレントを生で見られるコーナーを持っていた。PON!では基本的にはゲストだったが、やはり小山くんと同じNEWSの増田貴久くんはレギュラーを務めていた半年ほどのあいだ、毎週月曜に会えるアイドルだった。ZIP!も早朝だが、会えることもあるだろう。それが小山くんは、月火水木と4日間、会える。これはどう考えても本家会えるアイドルであるAKBよりも多い(AKBは日々出るメンバーが変わる)。日本で一番「会いに行けるアイドル」、それが小山慶一郎だった。しかもevery.へ見学に行くのは交通費を除いてタダだ。会ってファンサまでもらえるのに、タダなのだ。それなのに最大週4回も会える。コストパフォーマンスが最高にいいアイドルだった。

 

小山くんに会いに行けるらしいぞ、という噂を耳にしたのはいつ頃だったろうか。私が聞いたのは帯で番組に参加することがはじまって、しばらくしてからだが、はっきりと記憶にはない。しかし私も月金クジゴジで働く社会人なので4時の汐留というのはたいへんハードルが高く、それに行けたとしてもひとりというのも寂しいので足を運ぶまでではなかった。

友人の中で最初にエブった(every.へ小山くんに会いに行くことをわれわれは「エブる」と称していた)のは、NEWS担ではなくエイターのKである。村上担であるKは2015年の1月、ヒルナンデスの番協に当たって汐留にいた。で、そんなときにわたしが「それならevery.も見て行けんじゃん」とそそのかしたら、Kはその通り行ってくれた。しかも村上担として番協に参加していたKは、紫の服を着ていた。周りの人たちは、小山担だろうと察して見やすい位置に入れてくれたという。

そんな話を聞いてから、わたしもevery.に行きたい気持ちが高ぶり、その年NEWSにすっころんだばかりのGとともに、2015年3月18日、汐留にむかった。ちょうど、仕事の有休をとるべく設定されていた日だった。

 

3時くらいから場所取りをしたが、はじめてなのでどこから見ればいいのかよくわからない。それであまり人がいないところを選んで立った。スタッフの人たち、そらジロー、木原さんが出てきて、撮影の準備が進められていく。特にそらジローや木原さんはとても親しげに手を振り返してくれたりして、楽しかった。

出てきた小山くんは、さすが報道のお仕事中で、見学者にむかってクールに手を挙げるくらいだった。ところがお天気が終わり、マイスタでのニュースが終わってあとは上に戻っていくばかりというときだ。くるっと後ろをむいて、ニコッと笑い、われわれ見学者各所にむけて手を振ってくれた。そのとき、私とGは初心者だったがゆえにあまり人のいない場所に立っていた。本番が終わったあと、小山くんはとても華麗にターンをして、ピンポイントで私たちにむかってまず手を振ってくれて、それから数か所のファンにむかっても同じように手を振った。私たち二人のためにファンサをしてくれたのもすごいのだが、そこに見に来ている人たちがいると背後もきちっと把握していたことがすごい。そしてそのふりむいたときは、ニュースキャスターではなくアイドルで、とてもやんちゃでかわいい笑顔をしていた。

後でわかったのだが、その日、小山くんには密着のカメラがついていた。それでいつもよりテンションが高かったのかもしれない。every.の本放送と、われわれが肉眼で見たものと、密着が行われた映像と、三回おいしい2015年3月18日だった。

小山くんは、いつだって必ず最後に手を振るために顔を出してくれた。暑い季節には華麗にジャケットを脱ぐ様を披露してくれることもあった。シャツのカフスを外すのもおいしい。私は見たことがないが、ネクタイを抜いたりということもあったそうだ。オタクとして、拝むしかない光景だ。

 

every.の場所取りは、どこがいいのかは人それぞれだ。それに、放送のときのカメラのむきも日によってまちまちだったので、顔を見たいと思うと場所を変えねばならない(どうしても見えないときもある)。それに、マイスタ広場での近さを選ぶか、マイスタの中にいるときの姿も見える場所にするか、等々もかかわってくる。場所によっては生の声も聞こえてきた。少し遠いと、ワンセグで番組を見つつ本物の小山くんを見たりしていて、でも声が聞こえそうだと音は消した。

私とGは、はじめて行ったときのファンサが忘れられず、マイスタの正面あたりが定位置になった。お天気報道のときはガラス越しになってしまうが、人が少なめで、見やすい場所だ。マイスタの中もそれなりに見えたが、夏などはガラスが反射して見づらくなる。その一方、マイスタ広場でこちらに背をむけて立つ角度での撮影のときは、そのマイスタのガラスに姿が反射して、顔が見えるということもあった。間にあるゴールドクレストが伸びすぎて見えなくなったり、スタッフがマイスタのカーテンを閉めてしまったり、いろいろなことがあった。はじめて行った日は私たちのほかに人もいなかったあたりだが、そのうち小山くんの人気も出てきて、そこも人がいっぱいになっていったのを思い出す。

一番近いのは、マイスタにむかって左手で、小山くんがスタンバイしているときなど、本当に手が伸ばせるほどの近くになることもある場所だ。木原さんが放送後に見に来た人との写真を撮る場所でもある。そらジローは触らせてくれる(ふかふかしている)。一度、コンサート開始直前の木曜日にそのポジションに行ったことがある。きっと午前中もリハをしていただろう小山くんはご機嫌で、ご機嫌すぎて、みんなの目の前のスタンバイ場所でくるりとターンをしてしまった。しかもなぜか見に来ているわれわれのほうに顔を見せるようにターンしてしまった。かちあう視線。「あっ…」となるわれわれと、「あっ…」となる小山くん。そのあと恥ずかしそうに「ちぃっす」という感じで会釈してくれた。コンサートがいよいよ始まるというときにテンション高くつい踊ってしまう小山くんは、小山くんが「会いに行けるアイドル」だったからこそ見られたものだった。

エレベーターに関する楽しみもあるが、それは口をつぐんでおこうと思う。入ってはいけない場所に入ったことはもちろんないし、シースルーエレベーターを用意しているのは日テレではあるが、まあ、見る側も見られる側も少し気まずい場所である。一度、スカスカのエレベーターに乗った小山くんが、遠目だが見学に来ていた人たちに見られているのに気がついてしまい、超絶かっこいいポーズを保持したままかなり上のほうの報道フロアまで登っていったことがあって、ごめん…という気持ちになったことだけを記しておく。

 

月金の勤めとはいえ、私は休出がバカみたいに多い仕事なので、たまに平日が休みになることがある。平日の4時台なんてハードルが高いなって思っていたはずだったが、一度会いに行けるアイドルの快感を味わってしまったらもうハードルなどないも同然だった。チャンスがあれば即座に汐留に行くようになっていた。

しかしマイスタの出演は必ずあるものではなかった。重大ニュースがあって、ずっと小山くんが報道フロアにいることもよくあることだった。そんなときは、マイスタの人がよく立ちやすい場所に「本日、小山さんはマイスタおよびマイスタ広場での出演ありません」と紙を張ってくれたりした。

アルバム『QUARTETTO』の発売日、休みだったのでGとともに汐留にむかったのだが会えない日だった。そのあと汐留のタワレコでアルバムを買い、そのままカラオケ店でCDを流して結局NEWSな一日を送った。そういう一日の過ごし方も楽しかった。

 

特別なevery.は何度かあって、そのひとつが2016年12月15日だ。地方住みのCが別件で平日に東京に来るというので、少しスケジュールに無理をしてエブることになった。当初はそれだけの理由で予定を入れていたのだが、その日は手越祐也がCWCで電波ジャックする日と重なっていた。これまで、手越くんはevery.に出ても報道フロアでの出演のみだったので、マイスタに期待していなかったのだが、この日は初めて、手越くんがマイスタ広場までやってきた。以前、加藤シゲアキくんが本の宣伝で出たことはあってそれはテレビで見たのだが、メンバーの生出演を見られるというご褒美に震え上がった。ちなみにとても寒かった。手越くんがマイスタ広場に現れたとき、並んでいた見学の人たちがぐっと息を飲む音が気配が伝わってきた。放送が終わると、小山くんは手越くんにむかって拍手を送って、われわれも拍手をした。コヤテゴはそこで握手を交わし、手を振った手越くんが中へ。そして、小山くんも丁寧に頭を下げて、中へ入っていった。

この年は24時間テレビをNEWSが担当した年で、8月にも実は、このマイスタで事前番組の生放送があり、そのとき小山くんと手越くんが並んでいたのを見られてはいたのだが(もっとも、その際はマイスタ広場には出てこなかった)小山くんのevery.に出るというのは特別だった。あの日は、本当だったらエブらないはずの日だったので、いまでもCには「あの日行くと言ってくれてありがとう」としつこく言って、気味悪がられている。

 

ほかにもevery.の楽しみといえば小山くんのマネージャーである。コーナーが始まる直前になると、「撮影禁止」という札を持ったマネージャー氏が登場する。NEWSICALにも映っているマネージャー氏である。私には名前などはわからないが、行くたびに毎度顔を拝見するので変な親しみがわいてしまった。ちなみに、小山くんが日テレの入構証をくもジローのケースに入れていたのは知られているが、マネージャー氏は同じシリーズのそらジローを使っていた。マネージャー氏がそらジローをぶら下げているのを見ると、いつも「おそろいかあ…」とほっこりしたものだ。

 

私がはじめて行ったときからすると、小山くんに会いに来るファンはどんどんと増えていった。それを見ていて、いつまでもこの「会いに行けるアイドル」が続けられるわけではないなとも思っていた。その予感は的中して、2017年の3月29日に、翌週からコーナー変更が行われることが告知された。翌日が最後だった。ありがたいことに休みだったので、気合を入れて最後のマイスタ広場を見学しに行った。もちろんその日は、たくさんの人がいて、小山くんも最後だからみんなが来たことがわかってくれていたのか、いつもは出てきたときはクールで、終わってからだけアイドルだったのに、この日ばかりはまず笑顔でたくさん手を振ってくれた。

そのあともevery.ではマイスタを利用していたので、スタジオの中にいる姿だけだが、まだ小山くんを見ることはできた。見学に来る人たちはぐっと減ったが、それでも、行くと一人ではなかった。小山くんは、必ずわれわれにむかって手を振ってくれた。マイスタは、小山くんが元気でいる姿を見られる場所でいてくれたのだ。ときどきは、予告なくマイスタ広場や大屋根広場に登場した日もあった。さすがにそういうのに遭遇することはなかったけれど、私もGも、以降も気軽に汐留に遊びに行った。

 

いまでもときどき、平日が休みになると汐留に行きたくなることがある。私は汐留がとても好きだ。あそこにいたファンは常連が多かったようで、連帯感があった。「会いに行けるアイドル」に会いに行っていたのに、みんなとても節度を守っていた。たとえばPON!がジャニーズのゲストだったり、増田さんがレギュラーで出たりするときは、見学の人たちはうちわを持っていっていた。アイドルの現場なので、それはよいのだ。でもevery.で小山くんはキャスターだった。だれに言われたわけでもないのに、every.の見学ではだれもうちわやメッセージボードを出さなかったし、「小山くーん」という名前ですら、声かけもしなかった。手を振るというのが、だれに指示されたわけでもないわれわれの唯一のコミュニケーション手段だった。

その最たる瞬間が、先ほども語った手越くんが出てきた日のことだ。たぶんみんな、「キャーッ!」と叫びたかったのだと思う。けれど、every.はそういう場ではない、という意識が共有されていて、みんなぐっと息を飲んだ。小山くんが大切にしているevery.という場所を、われわれも大切にしていた。

every.は小山くんに会いにいけるとともに、とても良質な現場だった。正直あんな現場は二度とないのじゃないかと思っている。たった数年ではあったが、たぶんボケてもevery.は最高だっと私は言い続けるだろう。だからたくさんの人に、そういう現場があったのだと知ってほしいし、またどこかでだれかの、そういう現場があったら素敵だなと思っている。